法話12

「心に響くことばE」

ここ数年、新型コロナウイルスの流行で世界中が恐怖を味わっています。その中で、私はワクチン情報に戸惑い、困惑した経験があります。テレビの報道番組では、多くのお医者さんが「早くワクチンを接種すべきだ。そうすれば集団免疫ができ、新型コロナウイルスの影響も収束する」とおっしゃいます。一方で少数ではありましたが、「副反応がいつ出るかわからない」「接種すべきではない」という意見もありました。ずいぶん迷いましたが、普段お世話になっていて信頼のできる主治医にアドバイスを求めて、納得し、四回の接種を受けました。つい情報量が多い方、信頼している主治医のアドバイスを選んだのですが、それが良かったのかどうか、今でも半信半疑です。
ここに、「信」や「疑」という私の心があります」主治医さんとの日頃の付き合いから出てくる「信頼」というものがワクチン接種を決定しました。
親鷲さまは、比叡山でご自身の修行の功徳で仏となることを志されましたが、それに破れ、法然さまと出遇われました。法然さまの「本願を信じ念仏申さば仏に成る」とのご教示をうけ、必死の思いでお聴聞を重ねられ、ついにば「雑行を棄てて本願に帰」されたのです。「たとえ法然聖人にだまされて念仏したために地獄へ墜ちたとしても、決して後悔はいたしません」法然さまに対する日頃の信頼がそう言わしめたのでしょう。そして、『歎異抄』では「阿弥陀仏の本願が真実であるなら、それを説き示してくださったお釈迦さまのお説法がいつわりであるはずがありません。」続いて、その説法を善導大師が解釈してくださり、それを受けて、念仏往生の道を明らかにされた法然さまお言葉は決していつわりではないこと、ここを聞いてうなずいたのが私の「信心」である、とおっしゃいました。
つまり親鷲さまの「信心」は、阿弥陀さまから続くお念仏の歴史の中で、お釈迦さまをはじめ、善導大師、法然さまを含む七高僧の、なんとかお念仏の道を信じてはしいといういのちがけの伝道のたまものです。
阿弥陀さまの「一人も漏らすことなく、浄土へ迎え取り必ず仏にする、そのことを信じて生きておくれ」という喚び声をしっかりと聞き、お互いの胸にいただきながら生きてまいりましょう。