法話16

「心に響くことばG」

数年前に放映されていたテレビコマーシャルに、「世界は誰かの仕事でできている」というフレーズがありました。一見関係なさそうな仕事や会社が実は繋がっていたことを上手に表現していました。また、私が愛用している白衣は、もうずいぶん前に亡くなられたご門徒のおばあさんが、私のためにと蚕を育て、繭から糸を紡ぎ、布に織ってくださったものです。それを最近、母が白衣に仕立ててくれました。私はそのおばあさんの顔も知りませんし、声も聞いたことはありません。蚕、おばあさん、母が、今私を包んでくれています。
この縁起という真実は、すべてが互いに支え合っていくというあたたかい人間関係を築き、良き社会をつくりますが、一方で、私が生きるためには他のいのちを奪わねばならぬという、厳しく悲しい仕組みが内在していることも知らなくてはなりません。
 この真実を教えられた私たちは、自分のいのちを慈しむことはもちろん、支えてくれる人びとや、動物、生活を助けてくれる物などに常に感謝する生き方をめざしたいと思います。
仏教婦人会総連盟の機関誌『めぐみ』二五五号(二〇二一年秋号)に岐阜県の等光寺の住職さんと坊守さんのインタビュー記事が掲載されています。お二人は、新型コロナウイルス感染症蔓延の中、ご夫婦で布マスクを作ってご門徒に配ることを思いつかれました。
ガーゼやゴムなどの材料を仕入れにいかれましたが、行列に並んでも目的の商品がないということがありました。お金があっても「ものがない」という初めての経験をされました。その後少しずつ買えるようになりましたが、その包みの状態を見て、マスクを作りやすいようにと工夫されており、自分が知らないところで、多くの人の工夫とご苦労を感じたと言われます。
 そして、「自分がマスクを作った」と自分だけの手柄にしていたが、ご住職が作ろうと声をかけてくれたこと、材料を買うことが
できたことなど、誰かのためにしてきたことより、私が誰かからしてもらったことのほうがずっとたくさんありました、と言われます。マスク一枚にもたくさんの人たちの労力と工夫、時間がかけられていることを知り、ご恩を感じながら生きる。それを「ていねいに生きる」と表現されました。
 「縁起」という真実の中で自分ひとりだけが
幸せに生きるのではなく、周りのすべての人とともにお互いの幸せを願い、ていねいに生きていきたいですね。