法話17

「やさしい法話1」「もったいない」

「味覚の秋」「天高く、馬肥ゆる秋」
しかし今や地球全体は、そんな調子のいいことばかり言ってはいられないようです。二十一世紀には地球の人口は今の二倍にもふくれあがって、当然のこととして食糧が不足するというのです。
今でもすでに食糧問題はかなり深刻になっています。アメリカのように、一人が平均四人前も食べている国があるかと思えば、インドやバングラデシュのように餓死する人間のいる国もあるのです。
日本も、すでに自給自足出来る国ではありません。お米こそ生産調整等と言っていますが、麦も大豆も、その他肉や魚類まで全部が輸入にたよっているのです。大豆は味噌や醤油をはじめ、日本人の食生活に、お米同様かかせないものですが、その九十%をアメリカに依存しています。そのくせ近頃の日本人の食べ方は全くおどろくほど横着で贅沢です。まるで無駄にすることが生活のレベルの高さだとでも勘違いしているのでしょうか。おそろしいことです。
お弁当のふたを開いて、一番先にふたについた御飯粒を一つ一つていねいにひろって食べるつつましさは今ではありません。真ん中だけほじくって、おかずも好きなものだけ食べて平気で捨てます。宴会の席に出でも、残ったものを折に詰めて、各自が持ち帰るようなことはまるでみみっちくて、はずかしい行為のように思っています。
仏教には「勿体ない」という思想があります。それは、ケチることでもなければ、みみっちいといわれるようなことでもありません。物を物として充分に受けとめ、それを完全に生かし切れないことに対するおわびの心であり、私が今日一日を天地自然の恵みの中に生かされていると、深くおしいただく心です。朝、目がさめる。勿体ない、今日も一日が与えられた。夜が来る。勿体ない、今日も一日無事で働かせていただき、安らかな眠りにつかせていただける。やがて臨終を迎える。勿体ない。このままお浄土に参らせていただく。ナモアミダ仏。
何と豊かではありませんか。