法話23

街の書店には早くも手回しよく、来年の日記類が出そろいました。今年も残すところ、わずかとなったという感じがします。年のはじめには、いつものことながら、ああして、こうしてと、人並みに立派な心づもりもしてみますが、いつの間にやらおざなりな日暮しで一年を過ごしてしまいます。
暮れが近づくと、今年もまた相変らずたいして変わりばえのしない一年であったなと思います。しかし考え方によっては、その変わりばえのしないことが最大の幸せなのかもしれません。万一、大変な変わりばえがあったとしたら、それこそろくなことではなかったかもしれないとさえ思います。
だがたしかにこの一年、目に見えるほどの変わりばえはなかったとしても、三百六十五日、二度とくり返すことの出来ない日々を消失したことに間違いありません。これだけはどうにもとり返しのつかぬことです。
昔は歳末ともなると、出入りの商店等から、「日めくり」がとどけられました。子供心にも、毎日一枚一枚めくる時、それなりの思いがありました。うっかり二、三日めくり忘れてあわててはがして、日の経つことの早さを思わせられたものです。
近頃のように、一年分をまとめて一枚刷りにしたカレンダーを用いるようでは、「日々新たなり」の感じはうずらいでしまいます。それだけ人間の生き方も横着に慣れるのではないでしょうが。しかし、世のうつり変わる速度は、昔より今の方がはるかにはやくなっています。まさに無常迅速
です。
蓮如上人のお言葉に
「一度のちかひが一期のちかひなり。一度のたしなみが一期のたしなみなり。
そのゆゑは、そのままいのちをはれば一期のちかひになるによりてなり」
とあります。
あらためてこの一年を思い、やがて迎える新しい年への心がまえとしたいものです。