法話5

「やさしい法話1

人間を人間たらしめるもの
一輪の花が咲くためにも、それだけの環境や条件がととのわなければなりません。ましてや一人の人間が一生を生きる時、ただ人間にさえ生まれればそれでみんな人間として立派な一生が過ごせるのでしょうか。
一九二〇年十月に、インドのカルカッタの近く、ゴタムリという村でシング牧師が救い出した、世にいうオオカミ少女の話があります。当時二歳と八歳位で、二歳の方は間もなく死に、八歳の方は十七歳位の時、おしくも尿毒症で死んだそうです。
その育児日誌によると、顔かたちは人間でも、することなすことは全くオオカミと同じで、日中は暗い部屋のすみで、顔を壁に向けたままほとんど身動きもせず、ウトウト眠っており、夜になるとあたりをうろつきまわり時々遠吠えまでし、手を使って食べることはしないでペチヤペチヤなめて食べ、二本の足では歩けず、四つんばいで歩いたり走ったりしていたそうです。死ぬまでに覚えた人間の言葉はわずかで、知能は三歳半の子供程度と報告されています。
人間とは一体何でしょうか?
医学の祖、ヒポクラテスの言葉に、
「人は脳によってのみ、歓びも、楽しみも、笑いも、冗談も、はたまた嘆きも、苦しみも、涙の出ることも知らねばならない。特にわれわれは、脳あるが故に思考し、見聞し、美醜を知り、善悪を判断し、快・不快を覚えるのである……」
とあります。人間らしい脳の働きこそ、人間を人間たらしめるもののようです。しかし脳の働きは学習によって啓発されるのです。誰から何を教えられるか、これが大切です。
幼い頃からお念仏の教えに縁のあった人はどんな人生でも必ず力強く生きぬくといわれます。これは「ほんもの」を身につけた者の強さだと思います。仮ものや偽ものばかりしか知らないで左を終わってはなりません。
"三ツ児の魂百まで〃 。
私達は何を学び何を教えるべきでしょうが。