法話6

「心に響くことばB」

ここ数年、新型コロナウイルスの脅威の中で全世界が恐怖を味わっています。また、東日本大震災や熊本大地震、毎年のように続く豪雨災害いつ起こるかわからない自然の脅威には全く無力な私たちです。
『歎異抄』に「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」(『註釈厳重具」八四四頁)
とありますが、これが私たちの本来の姿です。
私にとって都合の良い縁に恵まれると、法律や道徳を守り、世間体を気にして善人らしく振る舞ってはいますが、いったん予期せぬ都合の悪い縁に出あったり、思い通りにはいかないことがあると、たちまち様子が変わり、恐ろしいことを体でも心でも起こしてしまう弱い存在が私たちです。
「売り言葉に買い言葉」という言葉があるように、相手の予想もしなかった言葉に激高し、些細なことから大げんかになり、そして暴力にまで繋がってしまうことは、お互いの人生の中で経験したことがあるのではないでしょうか。
最初からわが子を虐待しようと思う親はいないでしょう。要因の一つに「子育てが思い通りにいかない」ということがあり、虐待という事態を引き起こします。また、お金に困った状態になると、「こんなはずではなかった」とさまざまな犯罪を引き起こしてしまうのではないでしょうが。
罵声が飛び交い暴力が日常茶飯事となり、虐待や犯罪が頻繁に起こる状況を「じごく(地獄)」というならば、それを引き起こす原因は私の心の弱さにあると言わざるを得ません。
阿弥陀さまのご本願は、そういう弱い存在である私たちのために建てられました。
「どうか何が起こっても不思議ではないのが世の中だと知っておくれ。またその中で何をしでかすかわからないのが自分だと気づいておくれ」
と喚びかけていてくださいます。そのような阿弥陀さまの喚びかけ、すなわちご本願を、心に刻んで生きていきたいと、私は思います。