法話2

やさしい法話2

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
新しい年を迎えますと、だれもが、今年こそは自分にとっての最良の年になって欲しいもだ、
と願うのです。それは、人間の感情としましては当然のことといえるでしょうが、有名な諺
に、〃いつまでも有ると思うな親と鐘 ないと思うな運と災難"
とありますように、確かに幸運がやってくる可能性がないわけではありませんが、同じよう
に、さまざまな不幸がやってこないという保証もどこにもない、ということを忘れてはなら
ないでしょう。
しかしながら、客観的に見ますと不幸の原因に見えるような現象でも、こちら側の受け取
り方によっては、かえってそれを将来の幸福への足がかりにすることだってできるのです。
筆者の大好きな言葉に、
"病を治す神もあろうが、治らぬままに救われる道がある〃
というものがありますが、いかにも不幸のように見える現象でも、考え方によってはそのま
まの状態で幸福になることだってできるのです。
元旦が来る度に、わたくしたちすべての人間は、確かに死に向かって一歩進んだのではあ
りますが、同時に、精神的にも一歩進むことができさえすれば、冥途への一里塚を、心豊かな人間としての進歩、成長の一里塚とすることだってできるのではないでしょうか。
この一年、皆様にお話できることになりましたこの有り難いご縁を通しまして、お互いが、
無常な人生の中の一年を、本当に「生きていてよかった」と思えるようなものにしてゆきた
いと心から念願しながら、年頭のご挨拶といたしたいと思います。