釜ヶ崎の100年 過去・現在・未来 PARTT
司会者(講座代表 渡邉)

 今日は釜ヶ崎講座第五回講演の集いです。タイトルとしましては釜ヶ崎100年過去・現在・未来そのPARTTということで連続講演の第一回目ということで行います。

 釜講座は一昨年の12月8日に釜ヶ崎反失連の共同代表であります本田さんを講師にお迎えしまして、釜ヶ崎のことについて学んでいこうということで第1回目の講座の集いをはじめました。

 私たちは従来釜ヶ崎の越冬闘争や医療の活動に関わっていましたが、釜ヶ崎の運動が野宿者生活者支援法の充実のために、或いはその向上のなかで勝ち取った特別清掃事業制度を単に勝ちとるだけでなく、その事業を自らの手で運営し責任を持って実施していくそのような形の闘争スタイル、活動スタイルに転じて私たち支援の方でも従来のように釜ヶ崎に駆けつけて何か手助けしたりというだけでなくて、何らかの形で私たち自身の問題として釜ヶ崎の問題を考えていく場を、いままでの従来の形からもっと広い形で支援できないかという風に考えて、このような講座のスタイルで広く釜ヶ崎のことを、釜ヶ崎の当該の方たちと、支援の市民の方々、労働組合の方々、或いは市民運動の方々、学生のかたがたと共に考える場を作っていく場として、講座・講演の集いという形で一昨年の12月から途切れ途切れで申し訳ないですがおこなって来まして、今回で五回目を迎えます。

 その間に、昨年7月31日に「ホームレスの自立と支援等に関する特別措置法」(以下野宿者支援法と略す)が成立し、8月8日に公布・施行された「野宿者支援法」制立以降一体どのような形で運動を、活動を続けていったらいいのだろうかと、「野宿生活者支援法」成立に向けて大阪で共に広く手を取り合って進めてきた、連合大阪・部落解放同盟大阪府連合会・NPO釜ヶ崎支援機構の三者に私たち釜ヶ崎講座が共になりまして、9月13日にこの会場でシンポジュウム「野宿生活者支援法」成立以降、今後私たちは何をなすべきかという形のシンポジュウムを開催いたしました。

 その中で支援法は成立しましたが、支援法に対する評価も様々だし、支援法の成立を持って良しとするだけではなくて、その支援法を如何に使っていくのか、そしてその支援法が本当に野宿生活者・寄せ場日雇い労働者に本当の役に立つ、力に立つにはやはり運動・活動が引き続き必要であるということが、様々な在幹部の方、パネラーの方たちからも出されました。

 私たちは支援法成立までを一つの区切りとして運動を続けてきました。講座もその一助として講演という形を通して、共に考えることがその成立のために一役買っていこうということで、何らかの役割を果たしてきたつもりではありますけれど、そこで明らかになってきたのは「法律は通ってもそれを生かすも殺すもその後の運動しだい」いうことがはっきりしたという風に思っています。

 このような中で釜ヶ崎の反失連は昨年の9月末から、大阪城公園の府庁前に陣どって野営闘争を開始し、1月2日からは大阪市役所前に転じて現在まで野営闘争を続けています。野宿生活者の野宿脱出のためには公的就労を軸とした戦いが必要であろう、公的就労の機会が必要であろうを軸にしながら、勿論生活保護の獲得や福祉の更なる拡大という視点も忘れずに、そして一方では具体的な獲得特別就労事業のような物を具体的に責任を持って実施していくというようなことを持って、反失連の活動というのはその後6ヶ月以上も続いている。このような中で昨年の12月7日に「釜ヶ崎大いに語る」ということで、この闘いを先頭になって牽引してきた藤井さんの方から<個人の戦いの歴史>という形を通しながら、釜ヶ崎の戦いを語ってもらいました。

 実はそのとき、今年は第五回の勧業博覧会が天王寺公園で行われることによって、木賃宿がいまの釜ヶ崎に強制移住させられて100年ということで、形としては現在の釜ヶ崎の場に木賃宿が形成されて100年になります。その第一歩として12月7日に釜ヶ崎100年という事でその歴史を紐といていこう歴史の中から学んでいこうと講演を島先生にお願いしていたのですが、「釜ヶ崎を大いに語る」が大いに熱が入り時間を喰ってしまってお話が聞けなかったわけです。

 今日改めて釜ヶ崎形成100年にあたり、釜ヶ崎の歴史の中から過去から現在の状況、そして未来を見据えてということで、前回出来なかったその歴史編その第一ということでお願いしました。

 釜ヶ崎100年の歴史というのは単に釜ヶ崎だけではなくて、古く言えば日本の下層の現場を抱えている労働者というか働いている人たちがどのような形で日本で形成されてきたのかという、長いスパンでみた歴史的な流れを追う必要があるだろうと思います。とりわけ釜ヶ崎ではいま言ったように100年ですが、その100年でも戦前と戦後では大きくガラリと違うことがハッキリしています。それから皆さんも良くご存知の愛隣センターが出来て、いわゆる青空市場から相対方式でという形で日雇い労働者が雇用されるようになってからは、釜ヶ崎も大きく変動してきております。

 大きな歴史的区分からいえばそういうことになりますが、それを一回の中でやるということはとても不可能です。ですから何回かに分けてやると言うことになるわけですが、今日は島先生に「戦後日本」ということでまず出発して、戦後日本において釜ヶ崎はどのように形成されたのか、そこで寄せ場というのはどのような性格を持っているのか、そういうことを通して私たちは戦後日本というのをどのように見ていくことが出来るのか、歴史編第一ということで、広い意味で戦後日本と釜ヶ崎というなかで島先生にお話をお願いしたいと思います。
島和博さんの講演 へ