法話12
「火宅無常」
歎異抄に「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもってそらごとたわごと、まことあることなき」とあります。火宅とは辞典によれば、「この世の中が、もえさかる煩悩の火にせまられて、安らかにおちつけない苦しみに満ちた世界であることを、火災にあって焼けている家にたとえたもの」とあります。これは今は大丈夫ですが、やがて火事になりますよ、という警告ではありません。今、まさに、あなたは火事の真っ只中にいるということなのです。
多くの人々の願いとは、経済的に豊かで、その生活が快適で、便利であり、家族が平穏無事で、仕事も順調で、仲間とも楽しく過ごし、その上、若さを保ち、健康であることではないでしょうか。
このように便利で豊かで快適な社会が「火宅無常」であるとは、どういうことでしょう。常識的に見れば、人の心は善にあこがれています。善人には好意を抱き、悪人を嫌悪する。しかし、その人間社会には悪が横行し、争いが絶えないのです。それは私たち凡人は誰でも自分の幸福を願っている。自分を中心とした豊かさや快適さを求めているからです。自我に執着し、欲望を捨てることができない。このような心の持ち主が煩悩具足の凡夫なのです。
このような私たちによって造られている社会がどうして、確固不動だと言えるでしょうか。まさに「火宅無常」なのです。
歎異抄にはこのあと、「ただ念仏のみぞ、まことにおわします」と続いています、
仏様の教えに導かれ、仏様のお慈悲に生かされることだけが、確かだというのです。