法話18
「心に響くことばH」
「まこと」のひとかけらもない私に 仏さまから差し向けられた「まこと」
私の古くからの友人は、今六十八歳。彼は、おじいさん、おばあさん、そしてご両親のお育てで、幼少の頃からお寺参りをしていました。その後進学、就職、結婚と順風満帆の生活でしたが、五十代のはじめにお連れ合いの重い病気、ご両親の往生といったことが続きました。彼は、悲しみは大きかったけれど、すべてお聴聞の中で聞かせてもらった「諸行無常」のことわりだったと受けとめ、乗り越えてきました。
お連れ合いの病気もほぼ全快しましたが、六十三歳のとき、今度は彼自身が脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの左半身に麻痺が残り、歩くには杖が必要な体になりました。そんな彼に、今月のことばを読んでもらい感想を求めましたo
しばらくの沈黙の後、「自分はまことのひとかけらもない凡夫であるということが今はっきりした。今までのお聴聞の中で凡夫ということについて、聖徳太子や親鷲さまのいくつかのお言葉を聞いてうなずきはしていたけれど、直接に自分とは結びついていなかった。まことのひとかけらくらいは持っていると思っていた。
歩くのが不自由になった頃は、外出するのがいやで家の中ばかりで過ごしていた。そんなとき妻はしきりに外出を勧め、励ましてくれたが、そんな妻に感謝するどころか当たり散らしてばかりいた。ようやく重い腰を上げ、外出するようになると、さまざまな人たちが手伝ってくれる。ありがとうと感謝の気持ちを伝える。しかし、少し慣れてかなりのことが自分でできるようになると、手伝ってくれた方にありがとうとお礼は言うものの心の中では、少し時間はかかるがこれくらいは自分でできる、もう少し見守ってほしい、と反発している。ときには、余計なお世話だと心の中で叫んでいる自分がいる。ありがとうの言葉と裏腹に、相手を非難している」というような返答でした。
また、随分前に次のようなことを聞きました。その人は、若いときから部落解放運動に熱心に携わり、私たち真宗僧侶に、「今のままの社会でいいですか? 親鷲さまの同朋精神に立ち返りましょうよ」と、熱く訴えてくださる方でした。その彼があるとき、沈んだ声で「私は人を差別する人間を最低と言ってきたし、自分は人を差別などしないという自負があった。その私が周囲の女性に対して、女のくせに、女だてらになどと女性を蔑視することばを投げかけ、傷付けていたのです」と言われました。
お二人は、ご自身の心の底をちゃんと見据え、言葉にしてくださいました。そして、その仏さまから差し向けられた「まこと」の言葉が私の誤った姿勢を教えてくださいます。私自身を振りかえってみると、白身の発言や行動を、常に状況や相手の言葉が「そう言わせた。そうさせた」と言い訳ばかりしていたことが、恥ずかしくなります。
差別の現実と向き合い、「仏さまのまこと」をもっと、もっと学んでいきたいと思います。