法話21
本来宗教とは、私たちに正しい生き方を指し示し、正しい死の受容を明らかにするよう促すものだと思います。
ところが現代社会において、宗教は自分の欲望を満足させるための祈りであったり、自身の不安や困った状況を自分以外の何かに責任転嫁して、それらを排除していこうとするための手段となっているように思われます。
また仏教も、生き方を問うことよりも死後に重きがおかれ、教えの内容よりも儀式や勤行などの形に偏った、本来とは少しちがう伝承になっているように感じます。それは当然、伝える側の貢任が大きいことは言うまでもありません。今こそ仏教、とりわけ浄土真宗が何を伝えてきたのかを確認する必要があります。
ご門主は、伝灯奉告法要初日(二〇一六年十月一日)に、「念仏者の生き方」と題したご親教で、親鷲聖人がご門弟に宛てられたお手紙を現代語で紹介され、私たちの生き方について、
「(あなた方は)今、すべての人びとを救おうという阿弥陀如誓ご欝のお心をお聞きし、愚かなる鋸の酔いも次第にさめ、むさぼり・いかり・おろかさという三つの毒も少しずつ好まぬようになり、阿弥陀仏の薬をつねに好む身となっておられるのです」とお示しになられています。たいへん重いご教示です。