法話13
「やさしい法話A」
仏にもまさる心と知らずして鬼婆なりと人の言ふらん
よく言われることですが、人間というものは、「外面如菩薩 内心如夜叉」と表現されますように、いかにも表面的には立派にみえるようでも、心の内奥では、まさに鬼のような恐ろしい考えを抱いているのです。
だからこそ宗祖親鸞聖人は、
「悲しきかな愚禿鷲、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して」
と告白しておられるのです。
たしかにわたしたちは、いかにも口では偉そうなことを言い、そして身体では、立派な行動をしているように見えますが、心の中は、なかなか思うようにはならないのです。
それどころか、本音と建前、という言葉通りに、心の中の本音の方は、他人には見せられないような恥かしい欲望で満たされているのです。
ところが、それとは反対に、表面ではいかにも無慈悲、無愛想で、口でも悪口しか言わないような人が、心の中は結構やさしい思いやりに満ちあふれていることだってあるのです。
この歌は、まさにそのような状態をうたったものですが、このように言われたら、本当は心の中が鬼であるような人でも、自然に仏のようにやさしい心になってしまうことがあるのかもしれません。
人間には、だれにも必ず一つや二つの長所があります。だから、短所ばかりを指摘するのではなく、長所を見つけることによって相手を誉め讃えることが、その人をよりよい人間へと導いてゆく手段にもなるのです。
お互いに、相手が喜ぶような長所をみつけて、楽しい人生を歩んでゆこうではありませんか。