法話18
「心に響くことば」
お念仏に使われる「南無」(ナマス)は、現代インドでも用いられる挨拶の言葉だ。とてもありふれた挨拶言葉で「ナマステー」と互いに声を掛け合う。仏智不思議で私には理解が及ばないが、お念仏が、普通の挨拶の言葉を用いる理由について考えてみた。
まず、日常の言葉であるということ。お念仏は、特別な場所で特別な儀礼の中でだけ用いられるものではない。日常の中にあり、いつでも、どこでも、座っていようが歩いていようが寝ていようが立っていようが、いつでも念仏。念仏は、日常の私の口からこぼれ、声の仏となってあらわれて、悲喜交々の日常を包みこむ。
次に行き来する言葉であるということ。本当に淋しい時、辛くて心が沈んでいる時に、誰かの称えた念仏が、ふと聞こえてくる。そんな時、「仏さまがいて見守ってくださっている」と、温もりが私に届く。それが、今度は私の声になって誰かに届く。声に出た念仏が、巷に溢れていればいるほど、仏さまのはたらきが多くの方々に届いていく。
三つ目。何より、仏さまが「あなた」であるということ。「ナマステー」は、まさに出会っている者どうしが掛け合う言葉だ。念仏を称えるということは、今、まさに仏さまと会っていることを確かめさせてくれる。温もりが感じられる近さで、仏さまがはたらいている-南無阿弥陀仏。