法話19

「やさしい法話A」

何ごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる
神仏分離令によって、明治維新以来、神道と仏教とはそれぞれ別な宗教とみなされるようになったはずなのに、どうも日本人は、あまりにも長い間「神仏混淆」の伝統に影響を受けてしまったせいか、現在でも、神様と仏様とを区別しないで、一軒の家に、仏壇と神棚との両方を安置している家庭が、決して少なくないのです。
したがって、冒頭の和歌に象徴して示されていますように、自分が拝んでいる対象が何という名前の神様であるのかはもちろん、それが神道における崇拝の対象であるのか、あるいは仏教における崇拝の対象であるのかさえほとんど気にしないで拝んでいるように思われます。
他の宗教の信仰の対象だからといって、別に差別をしたり偏見を持ったり、ましてや粗末に扱ってもよい、ということではありませんが、少なくとも自分が拝んでいる対象が、どんな名前のどんな機能を持った存在であるのか、といったことぐらいは知っておく必要があるでしょう。
実は、浄土真宗の信仰におきましては、阿弥陀仏一仏の中に、わたくしたち人間が拝むべきものはすべて含まれていることになっていますので、念仏者を敬い護る護法神という考え方はありましても、わざわざ別の神々を拝む必要はまったくないのです。
したがって、人間が生まれてから死ぬまでの問に行っているすべての儀式、たとえば、初参り、結婚式、成人式、葬式、といったものを、阿弥陀仏の尊前で行いさえすれば、他のいかなる諸仏・諸菩薩、諸尊・諸神も必要がない、ということぐらいは覚えておいて欲しいと思います。