法話3
やさしい法話A
梅一輪一輪ほどのあたたかさ
一年の季節の中で、たぶん大多数の人が好むものは、寒い冬や暑い夏ではなく、だれにとっても快適に過ごすことのできる、春や秋の方ではないでしょうが。
ところが、もし一年中春や秋のような気候が続いたとしますと、おそらくそこに住む人間にとりましては、そのことがそんなに有り難くは感じられないと思われます。
"冬来りなぼ春遠からじ〃
という言葉は、いかにわた〈したちが春という季節を待ち望んでいるか、ということを示しているものと思われますが、それでは、冬そのものはそんなにいやな季節なのでしょうか。
こたつに入って外界の雪景色を眺めながら親しき友と酒をくみかれしたり、おいしいご馳走に舌つづみをうつのだって、まことに情趣あふれた人間の楽しみでしょうし、あるいは、寒風吹きすさぶ雪の冬山でスキーに興じるのだって、若者にとってだけでなく、スポーツ愛好者すべてにとって
の無上の喜びでしょう。
わたくしたち人間は、ともすると、
"山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う〃
という詩のように、何となく未来にだけ幸福があるように錯覚しがちですが、「今日」という日に喜びが見出せないのに、とうして「明日」にだけ幸福がやってくると言うのでしょうか。
現実を素直に受け入れて、その中で喜びを見出していけるような人にこそ、「明日」に幸せがあるのではなく、「今」に幸せがやってくるのです。
そのような見方から眺めますと、梅がまだ一輪も開かない間も、一輪開いた時も、
同じように幸福を見出すことができるような人生を歩くことができるようになるでしょう。