法話6

「心に響く言葉A」

ものの特徴や内容を示すのが「名」だと、私たちはイメージしがちだ。確かに「のこぎりクワガタ」や「金目鯛」はそうだ。しかし希望や願いを込めて付けられる場合も多い。「まる」がそうであるように、特に人の場合はそうだ。子どもの時に「智雄・哲雄・善雄」というメモを見つけて、親が悩んで私に智雄と名付けたことがわかり嬉しく思ったことがある。願いが尊いと感じる。
「南無阿弥陀仏」も、阿弥陀仏の「全てのものを救うぞ」という願いによって、私たちに与えられ、その願いの力が私の上ではたらいてくだきっている。
そもそも仏さまのお名前は、救いの「はたらき」であり、ものではない。しかも全てのものを包み込む救いのはたらきだ。だから、「あみださま-」と呼んで、来てもらう必要はない。たとえば声の届かない遠くに私がいる時に、名前を呼ばれても、私は来られない。しかし、「南無阿弥陀仏」は仏さまそのものなので、お念仏する時には、もう仏さまがそこにいらっしゃる。
だから、念仏するから救われるのではなく、救いの中にいるから念仏が出てくる。順番は逆で、仏さまからの救いが先に届いているから、お念仏が出てくる。
お念仏の一声が出てくることが、まさに今、もうここではたらいてくださっている証なのだ