法話16
「心に響くことば」
「みなさんは、仏さまになりたいと、ホンキで思っておられますか?」
ある研修会で、ドキッとするような問いをいただいたことがあります。
「そもそも、仏さまがどういうお方かわからなければ、なりたいという気持ちも起こりようがありませんね。
仏さまというのは、智慧と慈悲を兼ね備えたお方、ということなんですよ。お慈悲のお心とは、自分のことを差し置いてでも、他者の幸せを願うことです。他者の幸せが、そのまま自分の幸せとなるお方を、仏さまと申しあげるのです。
その仏さまに向き合うことで、私の中に智慧と慈悲のかけらもないことを知らされる。自分が幸せならばそれで良し、他人の幸せは妬ましいとしか思えない私の姿が知らされる。そのようなお恥ずかしい私と知らされるからこそ、智慧と慈悲を兼ね備えた仏さまになりたいという、人生の方向性が確立されるのです。
なかでも阿弥陀如来という仏さまは、智慧と慈悲のかけらもない私を、何としても仏に成らせたいという尊い願いを成就されたお方です。すべての智慧と慈悲を、自身のお名前として仕上げてくださり、南無阿弥陀仏とお念仏申すままが、浄土に往き生まれて仏と成っていく道であるとお示しくだきるのです」
私には、人生を導いてくださった師が二人います。
「仏さまになりたい」などと、かけらも思わなかった私を、仏前にいざない、仏法聴聞を進めてくださったお二人とも、先にお浄土に往かれました。お浄土からの導きとお育てをいただきながらお念仏申す中で、この私もかならず浄土に生まれて仏と成らせていただくことのありがたさを思います。.
私も仏さまと成って、仏さまの世界でまたお目にかかりたい。
この願いは、私が自分の力で生み出したものではありませんでした。南無阿弥陀仏とお念仏申すままに、仏さまの世界から、私を育て、導いてくだきっているのです。
この願いは、阿弥陀さまから賜った深く大きなお慈悲のはたらきによるものだといただけるのが、南無阿弥陀仏のお心でありました。