法話17

「やさしい法話3

雨が多く不順を夏でした。水害による死者も多く、忘れられない夏になった方々もたくさんおられるでしょう。
広島では若い副住職さんがなくなられました。たいへん活動的な、伝道にも熱心な副住蔵さんだったそうです。消防団員でもあったその副住職さんは七月十一日、午前三時半ごろ、避難命令がでた町内のお年寄り二人を自動車で迎えにでかけたそうです。
二人とともに避難する途中、道路が崩れて、十五メートル下の川に車ごと転落し、行方不明になっておられましたが、二十二日、午前十一時、広島湾で遺体が発見されたそうです。
私はこの報に接し、いたく心をうたれました。お年寄りを救出することの危険、困難さは、彼も充分承知していたことと思います。
私はただ、彼の勇気をたたえるといった気持ちではなく、彼がお年寄りを救助するために、懸命にハンドルを握る姿を想像し、心がうたれるのです。危険と恐怖の中で一心にハンドルを握る、そのこころざしを尊くおもうものです。
その結果は、お年寄りとともに土砂に流され、三人ともなくなってしまいました。
彼は、真宗遺族会の会員でもあり、広島の若い僧侶の方々の会、春秋会の会員でもあったそうです。
念仏者としてのやさしさを常に持ちつづけた方であったのでしょう。そのやさしさが、僧侶としての活動につながり、お年寄りの救助にも向かわせたのであろうと、私は思っています。
そのこころは、仏のこころにもつながります。私は悲しみの報道の中で、さまざまなことを考えていました。
また彼岸がやってきます。