法話22![]()
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「心に響くことば」
中国の高僧、善導大師は、有名な「二河白道」のお譬えで、南無阿弥陀仏のお心をお示しくださいます。
ある旅人が、西に向かって遠い道のりを歩もうとしたところ、いきなり目の前に、「火の河、水の河」が現れ、旅人の行く手を阻みます。
その河の真ん中には、西に向かって一すじの白い道がありますが、火と水が交互に覆いかぶさって、とても渡れそうにありません。
後ろからは、盗賊や獣たちが旅人に迫ってきます。引き返しても、止まっても、進んでも、旅人は死んでしまうでしょう。旅人が仕方なく前に進もうとした時、東の岸から勧める声が聞こえてきます。
「ためらうことなく、この道をたどっていきなさい」また前(西の岸)からは、旅人を喚ぶ声が聞こえてくるのです。「一心にためらうことなくまっすぐに来るがよい。私がそなたを護ろう」
旅人はそれらの声を聞き、「すでにこの道があるのだ」と受け止め、道をたどってまっすぐ西に進みました。盗賊や獣の声に耳を貸さず、西の岸にたどり着いた旅人は、全てのわざわいから離れて、善き友と出遇うことができたのでした。
浄土真宗、他力念仏のみ教えから味わいますと、特に次の二点がありがたい譬えだなあ、と感じます。
一つには、お念仏申すままに、ずっと阿弥陀さまが寄り添い続けてくだきっているのだ、ということです。お念仏申す人生は、阿弥陀さまがずっとと一緒の人生なのですね。
もう一つは、私が浄土へ生まれたいと「願う」前に、「すでにこの道あり」と、浄土往生の道が用意されていたのだ、ということです。それは、この私が唯一救われていくことのできる道であり、この私のためにご用意くださった道でありました。
むさぼり(水の河)、怒り(火の河)の心を抱えた私のために、阿弥陀さまは、南無阿弥陀仏のお名号と仕上がってくださいました。
「一心にためらうことなくまっすぐに来るがよい。私がそなたを護ろう」
と、阿弥陀さまが私を喚んでくだきっていたのでした。
私が「浄土へ生まれたい」と思うよりもずっと前に阿弥陀さまの方から「浄土へ往き生まれる道を歩んでくれよ」との願いが、私を喚び続けておられます。
お念仏申すまま、聞こえるままに、阿弥陀さまの「あなたを救う仏に成る」との願いが、私に至り届いているのです。