法話3

「やさしい法話3」

一月もあっという間にすぎ去り、もう二月になってしまいました。毎度のことですが、月日の経つ早さに、あらためておどろきます。

時が過ぎ去るのではない。人が過ぎ去っていくのである

と言った人があります。たしかにそうかも知れません。

私のところに、毎年、日めくりのカレンダーを贈って下さる方があります。私はそれを毎日、一枚ずつ破り捨てます。その時、私はなぜか私の「いのち」を少しずつ削りとっているような気持ちになります。そんな緊張感にうたれます。

カレンダーにもいろいろなものがあります。二カ月を一枚にしたもの。一年を一枚にまとめたもの。それぞれ、便利な使いみちがあります。

私がおどろいたものに、十年間使えるカレンダーがあります。あるところからいただいたものですが、十年間ぎっしりと印刷されているのです。なんとも気の長いカレンダーです。

明日のこともたしかではないこの「いのち」と学ぶ時、このカレンダーは私にさまざまなことを教えてくれます。

私は一枚一枚破り捨てる「日めくり」が好きです。今日の私の「いのち」は、昨日のつづきのいのちではありません。また、明日のためのいのちでもないでしょう。

それは、今日の私の「いのち」なのです。まさに、「いのちまいにちあたらしい」のです。昨日のいのちにしがみつき、明日のいのちをあてにしているだけでは、いのちの燃焼はないでしょう。

力のかぎり、今日を生きぬく、念仏のおしえは私に、その力を与えてくれます。それを「信心」といってもよいかと思います。