法話6

「心に響くことば」

お経に「五濁悪世」というお言葉が示されます。私たちの娑婆世界には、避けがたい五種の汚れ(劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁)が生じているのだ、と説かれるのです。
その二番目に説かれる「見濁」について、ある先生がおっしゃった言葉に、本当にうなずかされました。
「お経に説かれる『見濁』とは、思想が乱れて、邪悪な思想や見解がはびこることを表します。
これを具体的些言うと、人間が思い上がっていく、ということです。例えば、人間の積み上げた知識や経験こそが正しく、科学と理性によって人類の幸福がもたらされるのだ、という考え方です。
仏教なんて非科学的な考え方は古くさいよ、これからは科学と理性こそが正しい考え方だよ、というのが、多くの現代人の受け止め方ではないですか。
しかしそうやって、人間が積み上げた知識や経験を当て頼りにして、本当に私たちは幸福になっているのでしょうか。
むしろ欲望に振り回されて、苦しみや悲しみの中、不幸を生み出してしまっていないでしょうか」
人間の奥底に抱えた欲望を離れることができないがゆえに、苦悩を生み出してしまう。理性という名の「人間の思い上がり」こそが人類の不幸を生み出してしまうということを感じるのです。
末通った智慧も慈悲も持ち得ない私であることを見抜かれた阿弥陀さまが、「私が仏に成って、あなたを救う」との願いを成就されたのが、南無阿弥陀仏でありました。
今まで、自分の積み上げた知識や経験を握りしめて、「見濁」の思い上がりの中で生きてきた私の生き方に気づかせてくださるのが、阿弥陀さまの真の智慧でありました。そして南無阿弥陀仏とお念仏申すままに、阿弥陀さまの大いなるお慈悲に包まれ、寄り添われる人生を歩んでいけるのです。
阿弥陀さまの真の智慧は、そのまま大悲のはたらきそのものなのです。