法話7


「やさしい法話3より

四月は入学式のシーズンです。希望の学校に入学できた人。そうでない人。さまざまです。
二月の終わり頃でした。いくつか受験した大学から不合格の通知をうけ青年が「今年もだめだ」と言って、自死してしまったそうです。そしてその日に、一枚の合格通知が届けられたのです。
あまりにも残酷な、悲しい出来事を私は今、想いおこしています。希望校に入学できた人も、そうでない人も、それぞれに「人生」を大切にしてもらいたいと皇うのです。
私が高校の教員をしていた頃、新学期になるとかならず「私はこの学校にきたくなかった」という生徒がいたものです。そんな時私はいつも「そんな気持ちで学生生活を送ったら自分白身がもったいないよ」と言ったものでした。
私たちはこの学生を簡単に批判することはできません。なぜなら「こんな人だとは思わなかった」「こんな子どもをなぜ育てなければならないのだろう」といった思いの中で、いつも生きているからです。それを、愚痴、不平、不満というのでしょう。私たちの抜きがたい「こころの貧しさ」です。
先日、麹町の女子校に講演にまいりました。ステージからみると千名余の学生さんたち一人一人が輝いてみえるのです。一堂で拝見しているとみな輝きを放っているのです。私は、あらためて「いのち」というものの個別性を感じていました。アミダ如来は「一切衆生」と呼びかけて、私たち一人一人に「真実の人生」を歩く道を示されました。ここには「いのち」の平等性と尊さへの念があふれています。
優越感と劣等感から解放され、多くの人とともに手をとり合っていく社会をめざしたのか、親鸞聖人の念仏者としての歩みでした。