法話11![]()
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「やさしい法話4」
教えを学ぶ基本は、まずお聖教を読むことですが、私たちはとかく自分勝手な読み方をし、また解釈をしがちです。それでは、せっかくお聖教を読んでも何にもなりません。それどころか、大事な意味を曲解してしまうという大へんな過失をおかしてしまうことになります。
句面のごとく」とは、「ことばに示されているとおり」ということですが、これがなかなかむつかしいのです。お聖教のことばは一字一句もおろそかにしてはならず、しかも自己流の解釈で理解してほならないのです。
そこで「私にして会釈することしかるべからざることなり」といましめられ、お聖教を読むこころえを述べられるのです。
ところで「句面のごとく」といわれていることは、必ずしもお聖教のことばを一字一句うのみにすることではありません。讃岐の庄松同行は経典(浄土三蔀経)を見せられて、「これを読んでみなさい」といわれ、「『庄松お前をたすけるぞ』と書いてあります」と答えたことが伝えられています。ほとんど文字を読むことのできなかった庄松同行でしたが、まさに眼光紙背に徹する読み方をしていたのでした。ただ文字だけを追うていたのでは、このような読み方はできません。「句面のごとくこころえる」とは、お聖教のことばの中から、み仏の心をいただくことにはかなりません。
自己流の勝手読みをしてはなりませんが、また字句にとらわれてもなりません。いずれも自分中心の理解にとらわれているのであって、このことをとくに注意したいものです。それ以前に教えに対する心からの敬いをもたねばなりません。ひたすらお聖教に聞くという聞法の姿勢が大切なのです。み仏のことばとしてお聖教をいただいてください。