法話14

「心に響くことば」

本願寺二十五代大谷光淳ご門主は、このようにお示しくだきっている。
今日、世界にはテロや武力紛争、経済格差、地球温暖化、核物質の拡散、差別を含む人権の抑圧など、世界規模での人類の生存に関わる困難な問題が山積していますが、これらの原因の根本は、ありのままの真実に背いて生きる私たちの無明煩悩にあります。もちろん、私たちはこの命を終える瞬間まで、我欲に執われた煩悩具足の愚かな存在であり、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできません。

(二〇一六(平成二十八)年ご親教「念仏者の生き方」)

「清らかな人格を目指し、喧嘩や争いをやめましょう」との仰せではないこの言葉に、ポッとした自分がいる。
対人関係に悩み、煩悩に苦しむ私は、清らかな行動がどうしてもできないのた。世界平和を唱和しながら、夫婦喧嘩がやめられない。日常の小さいこともできないのに、非日常の大きなことを豪語する。

 

ご門主はこう続けられる。
しかし、それでも仏法を依りどころとして生きていくことで、私たちは他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯努力させていただく人間になるのです。
浄土とは異なり、違うものの集積により、娑婆の世界は構成されている。しかし、この違いにより考えが深まり、違っているからこそ、ありがたい世界でもある。
違いに苦しみ、違いに助けられる日常が続いているのだ。そういう生活の中、違ったものが無理をく調和する浄土が眩しい。
ご門主のご親教に話を戻すが、阿弥陀さまのはたらきて救われるのだから、私の生き方は問題にならない、と言い切ってしまうこともできる。しかし、浄土を仰ぎ、仏さまがどのような生き方をされているのかを考えることも大切ではないかと思う。
そして雑然とした裟婆の中に、清らかな浄土からのはたらさをうけ生きている今があることを忘れてはならない。