法話17![]()
![]()
「やさしい法話4」
「身を捨てる」とは、自己を捨てること、自分を犠牲にすること、一身を投げ出して自己を顧みないことです。
ところで、私たちが身を捨てるときとは、どんなときでしょうか。 またいかなることに身を捨てることができるのでしょうか?
つねづね私たちが大切に考えることであっても、身を捨ててこまで大切にすることがらが何かあるのでしょうか。
母はわが子のためには身を捨てるといわれます。。そのことは子を思う母の心がいかに尊いものであるかをよく表しています。世の中で一番大切なものはわが身であって、その身を捨てることが果たして私たちにできるかどうかと思うとき、子のためにわが身を捨てる母の姿には驚嘆のほかありません。
いまここでいわれているのは、まことの信をとるという宗教の本質的課題についてであって、たとえただ一人であっても信をとることができるとするなら、自己を捨てよ、といわれるのです。こことはまことの信がいかに大切であり、またその信をとることがいかに根本的課題であるかを述べられているのです。
ところが、通常私たちは、この信をとるということを軽々しく見、大切なこととはうけとめていません本当に私たちが身を捨てて人のためにつくすべきことは、人がこの信にめざめ、信をとるように努めることなのです。
善導大師に「みずから信じ、人に信じさせることは、難中の難である」
と追べられましたが、まさしく人をみちびいて信をとらせることほどむつかしいことはありません。この難事をなすために一身を捧げることこそ、念仏者の使命でありつとめであって、これに務めるこちこそみ仏に努めることこそ、み仏の恩に報いる道である、とも説かれました。
現代の私たちは、あまりにも現実にとらわれ、身を捨てて努めなくてはならないことを疎かにしています。浄上真宗の教えに生きるものとしての使命を改めて考えざるをえません。