法話19

「やさしい法話4」

私たちはつねに新しいものや珍しいものを求めています。そこでそれが手に入ったときは、大へんな喜びを感じるのです。
しかし、新しいものとか珍しいものばかりが喜びの種ではありません。新しいものを追い求めてばかりいると、新しいものや珍しいものがすぐそうではなくなり、喜びどころか、かえって心はみたされずいら立ち、ついには精神もおかしくなってしまいます。
今までどこにもなかったもの、あるいは今までとは全く異なったものを新しいものとか珍しいものと考えていますが、本当に新しいもの、珍しいものとは何でしょうが。そのことをよく考えてみる必要があります。
真実の信-私にたまわった如来の真実心-とは、そのことをいつ聞いても、いつも初めて聞くという思いをもって聞くことが大切であって、そこにこの信を尊び、たたえる心がみちています。
赤尾の道宗(蓮如上人のお弟子) は「ただ一つ御詞をいつも聴聞申すが、初めたるやうにありがたき」といわれたと伝えています。また蓮如上人のお弟子であった法敬は九十歳まで生きられましたが、「この歳まで聴聞申し候へども、これまでと存知たることなし、あきたりもなきことなり」といっています。仏法の聴聞においては、「もうこれで充分である」とか「聞きあきる」とかいうことはありません。仏法を人生のもっとも尊いものと敬い求めるとき、はじめて聞法のいとなみが始まるのです。
そこで、仏法を敬う心が大事だ、といわれ、この心が聞法の道を開いてくれる、と教えられるのです「一つこと」は唯一無二の絶対の真理であって、そこに、仏法の真髄-つねに新しい生命の力の湧き出る泉-があるのです。