法話20

「心に響くことば」

現在、「ケアと宗教 北九州」という会で、月に一回いろいろな病院へ傾聴に伺っている。
そういう中、印象に残っている患者さんがいた。七十歳くらいの女性だった。四十代くらいの娘さんがお見舞いにきていたので、傾聴は遠慮した方がいいかなと思っていると、娘さんが、
「母が楽しみにしていたので、聞いてやってください」
と言ってくださり、傾聴をする運びとなった。
三人で雑談をしていたが、会話が途切れた時、その女性は神妙な顔になり、語り始めた。
「あのね、若い頃は、着物とかブランドの服とか買って着飾ってきました。また、いろいろなところを旅行しましたし、「食べることも好きだったから、美味しいという店に友人や家族とも行きました」と続け、
「でもね、もうそんなに長くないって自分でわかります。そうなると、今まで楽しかったことが楽しくないんです」
その言葉の後、娘さんの方を向いて
「受験や就職の時、この子にガミガミ言ってきたけど、考えてみると、今ここに一緒にいてくれるだけでありがたいのよね」
健康を失うことで消えていった楽しさや幸せたち。そんな中、娘がそこにいてくれる、その純粋で素朴な有り難さに気付かれたのだろう。
結局、私たちは何かがあることで成り立つ幸せを、あたかも永続するように握りしめてもがいているのかもしれない。
根源的な問いに蓋をして、世間的な何かを柱にして生活していくことの脆弱性を、痛感する「人間としての悩み」でなく、いつも蓋をしている「人間という悩み」に向き合っていく。それ以外に本当の満足はないのかもしれない。
「口に世事をまじへず、ただ仏恩のふかきことをのぶ」
世間の話をやめて、浄土を想いながら仏さまのお徳を讃えられた親鸞聖人のご臨終のお姿に、世間的なものだけでは満足できないことを再確認するのであった。