法話9![]()
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「やさしい法話4」
「これはよい、それはわるい」とか、「この人は善人だが、あの人は悪人だ」とか、私たちはよいとかわるいということをしばしば口にしています。
しかし、よく考えてみますと、いったい何を基準にして善悪を判断しているのでしょうか。そのことを深く考えてみる必要があります。
「万事信なきによりてわろきなり」とは、実にきびしい教えといえます。
信を欠いているなら何事であってもよくないのだ、ときっぱりとさとされています。この信ということは、広く一般に信仰といわれるものですが、浄土真宗では、信とは阿弥陀如来の本願を信ずることであって、つまりみ仏の真実心をいただくことにほかなりません。なぜなち私たちの力によっておこす信は、私たち自身の心がいつわりにみち、またもろくもくずれていくものであって、そのような心によって信じようとしても、その信は真実の心とはなりえないかちです。
善知識とは、私を教え導いてくださる方のことであって、「よき人」といっても同じです。「くせごと」とは「曲事」ということであって、正しくないこと、真実の道理に背いていること、つまりよくないことを意味します。
なぜ善知識は「信なきことをくせごと」といわれるのかといいますと、み仏の心に背くのが信のないことであるからです。そのような自分自身を中心にして
善悪を立てていること自体が「くせごと」なのです。
「よい、わるいということをいい合っている私たち自身をふりかえりなさい。み仏の心を仰ぎ、それを信じることが大切ですよ」といましめられているのです。