エピローグ『約束』
エピローグ
『約束』


「先輩、す、好きです……付き合ってください」

「わりぃ」

そう言って俺は目の前の女生徒に手を見せる。
すると女生徒は驚いたようにパッと手を口元に持っていく。

「そういうことだから…」

「……はい」

「君には俺みたいな奴より、もっと良い奴がお似合いさっ」

そんな捨て台詞を残してその場を後にした。

後輩の勇気ある告白をけった俺を迎えたのは、寒空に綺麗に広がる夕日。
吹きつける風は冷たく、今が冬だと体の芯から教えた。

校舎を出て、いつもの帰路につく。
俺の前に伸びる影は、果てしなく永遠と続く。
いつも見てきた影。
これからも見ていく影。
俺の影はいつもついてきた。
俺の行く先、俺の通ってきた道。

あいつも途中まではついてきてくれた・・・

「あれから……三年も経ったのか…」

時が経つのは早いものだ。
今の俺は大学三年生。
砂奈も大きくなった・・・
千奈も大きくなった・・・
そして、アヤネも大きくなった。
三年という時間が全てを成長させた。

高校生になった砂奈は料理の腕も格段にアップした。
兄としては変な虫がつかないかちょっと心配だったりする。
千奈はまだ小学生だが、前より少し大人になった。
だが、俺のことを『おにぃたん』と呼ぶのは相変わらずで、少し嬉しかったりする。
アヤネは大きくなっただけで、他は別に変わってなかったりする。
風来坊なところがあるが、それは猫だから仕方がない。

「……さむっ」

コートの襟元をキュッと閉め、風を入れないようにする。
寒いながらも心は少し温かかった。
失ったものは大きかったけど、たくさんの大切なことを知らされた。
俺にとって大切なもの。
生きている者が知らなければいけないこと。

それは俺にとって砂奈であり、千奈である。

かけがえのない家族。
血の繋がった可愛い妹。
いつも俺を助けてくれて、見守ってくれる。
そんな存在を大切にするんだと教えてくれた。
いつまでも悲しむのではなく、残った者は笑うんだと教えてくれた。
それが生きている者ができること。
死んだ人にしてやれること。

「俺は……少しは前進したか?」

空は夜へと移り変わっていく。
季節もいつかは春へと変わっていく。
砂奈も変わり、千奈も変わった。
アヤネも変わった。
そして俺も変わった。

全ての時は止まることなく、限りなく進んでいく。

そんな時の中で変わらないもの。
俺にはそれがある。
あのときから止まったままの時間。
ひとつだけ動くことを止めてしまった歯車。
電池が切れてしまったのか、ピクリとも動かない。
それでも俺はよかった。
そのままにしておこうと思う。

それがあいつにしてやれること・・・俺の意地・・・

俺の歯車はひとつだけ止まったまま。
あいつの時間は全部止まったまま。
だったら俺は合わせよう。
あのときの時間だけは止めておこう。

動き出すのはいつの日か・・・
それはあいつが帰って来る日なのか・・・

………

「ただいま〜」

いつもの家。
いつもの温もり。
玄関に入ると寒かった体がポッと温められる。

「おにぃたん、お帰り〜」

「おうっ、ただいま」

迎えに来てくれた千奈に手をあげて答える。
俺が帰ってきたことが嬉しいのか、ニコニコと微笑みを俺に向ける千奈。
そんな姿を見ていると俺まで嬉しくなってきた。

「可愛い奴め〜〜うりうりうりうりっ」

「あやややややや、おにぃたん〜〜っ」

千奈の頭を少し乱暴に撫でると困ったような顔する。
その仕草がこれまた可愛くて、つい続けてしまう。

「うりうりうりうり…」

「あやややややややや〜」

「うりうりうりうりうりうりうりうり…」

「あやややややややややややややややや〜」

わはは!
可愛すぎる妹めっ!
ついつい、いじめたくなるではないか・・・

「お兄ちゃん、いつまでやっているの?」

「砂奈か…、お前もやるか? 楽しいぞ〜」

「べ、別にいいよ」

「そうかそうか。じゃぁ、お前にもしてやろう」

「…え!?」

俺達の前に現れた砂奈に手を伸ばす。
・・・が、あっさりとそれはかわされた。

「遠慮するなって」

「え、遠慮してないってば…」

そう言いながらも逃げ腰の砂奈。
顔を赤くしてあたふたと慌てている姿は可愛らしい。

「も、もうすぐご飯だから……来てね…」

それだけ言って逃げるように台所に引っ込んでしまった。
やれやれ、砂奈の奴も素直になればいいのに。
してほしいなら、いくらでもしてやるのにな・・・

「うぅ〜、おにぃたん乱暴すぎるぅ〜」

不機嫌そうな声を出しながら乱れた髪を整える千奈。
だが、その言葉とは裏腹に顔はどこか嬉しそうに見える。

家族との時間。
そんな温かい時間を大切だと思って過ごせるのは嬉しいこと。
人はそれを当たり前だと思って無駄にする。
でも俺はそれが一番大切だと知っている。
知っているからこそ、今、このときを悔いなく過ごしたい。

………

「いただきまーす」

3人での食事。
クソ親父はどこに行ってるのやら・・・
仕事が忙しいのはわかるが、たま〜には帰って来いよ。
俺はどうでもいいけど、千奈は寂しいに決まっている。
妹たちの為にも少しは親父らしいことをしてほしいものだ・・・

「…っと、そんなことより飯だ飯っ」

箸を掴み、目の前にある料理を適当に口の中に放り込む。
一回噛むと、口の中でじわっと味が広がる。
俺が好きな味。
千奈が喜ぶ味。
砂奈の料理は俺や千奈に完全に合わせられたものだ。

「もぐもぐ……うまい」

「あはっ、そう言ってもらえると作った甲斐があるよ」

「美味しいぃ〜」

「千奈もありがとう」

いつもの会話。
いつもの笑顔。
砂奈の料理はいつも美味く、日に日に上達していくところは驚くばかりだ。

「もぐもぐ…」

でも、本当に砂奈の料理は美味い。
それはそうか、砂奈に料理を教えたのはあいつだ。
美味くて当然だと言える。
あいつの料理は俺が食べた中で一番美味しかったから。

「にゃ〜〜ん♪」

「アヤネ? ちょっと待ってね」

アヤネの来訪に砂奈は席を立つ。
パタパタと奥に行くと、皿をだしてキャットフードを注ぐ。
そしてコトンと床に皿を置くと、アヤネはガツガツと勢いよく食べはじめた。

「飯のときだけ顔を出すなんて、現金な奴だな」

「お兄ちゃんったら…」

「アヤネたん〜」

千奈の呼びかけにも耳を貸さず、食べることに集中しているようだ。
そんなアヤネの態度にガックリと肩を落とす千奈。
俺は落ち込む千奈の肩をポンと叩く。

「千奈、世間は厳しいな〜」

「…うん」

「2人とも落ち込まない…」

こんないつものやり取り。
飽きることなく続けられる時間。
それはとっても温かい空間の中のこと。

全ての時は限りある中の大切な時間・・・

………

「ふぅ、寒いな…」

なんとなく食後の運動がてらに寄った公園。
この公園はあのときから変わらず、同じ形を残している。
あいつと出会った砂場。
あいつのお気に入りの意味不明な長椅子。
どれもこれも変わってない。
何ヶ月経とうと・・・
何年経とうと・・・
これっぽちも変わらない。

全ての時間はあのときのまま・・・

「約束……だよな」

あいつと交わした約束。
いつか叶えられると信じて・・・
いつか叶えてやると誓って・・・
俺はずっと生きてきた。
腑抜けていた自分を捨て、なんにでも真面目に取り組むようになった。
勉強も真面目にした。
運動も面倒くさがらずした。

その結果、俺はスポーツも勉強もかなりできるようになった。
そしてあいつに言われたとおり、同級生にも後輩にも好かれるようになった。
今日の告白。
別に珍しいことではない。
今までにも何回もあった。
だが、俺はそれをことごとくけってきた。

それは約束のため。
あいつとの約束だから。

「早く……帰ってこい」

今の俺は前の俺と違う。
今ならお前の全てを受け入れてやれる。
約束を全て叶えてやれる。
その為の用意もしてある。
だから、戻ってこい・・・

「…ふぅ」

ドンと重い腰を長椅子に下ろす。
この椅子に座るといつも隣にいたあいつ。
今は誰もいなく、あるのは空間だけ。
姿形もなく温もりもない。

「………」

ジッと地面を眺めると外灯によって作られた俺の影。
それは遠くへ遠くへと伸びていく。
なにをするわけでもなく影を眺める。
先へ先へと見ているとポツンと佇むものがひとつ。

「…よっと」

俺は掛け声をかけると飛ぶように席を立つ。
そしてゆっくりと前進していく。
ただ真っ直ぐと・・・影を追うように・・・

ザッザッザ・・・

少し歩いたところで立ち止まる。
視線の先には俺の影とあのときの光景。
今まで止まっていた歯車が動き出す。
ゆっくりと・・・確実に・・・

「約束、守ってくれたんだな?」

「うん、私の約束は永遠だから…」

永遠か・・・
そうかもしれないな。
俺には永遠はないけど、お前には永遠がある。
限りある命と限りある時間。
俺にあるのはそれだけ。

「まったく、何年待たせるつもりだ?」

「んふふ、そんなに待った?」

「ああ、じーさんになっちまうかと思ったぞ」

「ならなくてよかったね」

長い髪を揺らし、満面の笑みを浮かべる少女。
その笑顔は輝いて。
その仕草は可愛くて。
その言葉は優しくて。
なにもかもが懐かしかった。

「本当、帰ってきてくれてよかった…」

俺はダッと少女の元に駆け寄り、その小さな体を抱きしめる。
久しぶりに抱きしめた体は相変わらず冷たかった。
けど、そんなことはどうでもよかった。
俺が温めてやればいいだけのこと。
満たしてやればいいだけのこと。

「……あっ」

「………」

たくさんの想いが込み上がってくる。
だけど、俺にはそれを伝える前に言う言葉がある。
再会したときは言ってやれなかった言葉。
今なら素直に言える。
優しい言葉で言ってやれる。


「おかえり、綾音…」


公園に吹く夜の風は俺の想いを乗せていく。
囁いた言葉は風にさらわれ少女の元へと辿り着く。
少女の心へ届いた言葉は風音のように反響し、小さな体を震わせた。
風に髪をさらしながらも流す涙は熱く、俺の服を濡らす。
だが俺は抱きしめ続ける・・・大切な人を。

小さな少女が呟いた言葉。
それを聞き逃さないように耳を傾ける。
静かな夜の公園で抱きしめ合う2人は儚くて。
それでも少女は嬉しそうで。
俺の言葉に嬉しそうに微笑んで。
涙の笑顔を向けながら・・・


「ただいま、誠ちゃん…」





< 永遠の約束 完 >





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