狂気の果て
『狂気の果て』
ザシュッ!
男の肩に物体が突き刺さる。
「ぐぁっ」
今宵もまた闇の世界に赤い滴が飛び散る。
それは黒いものを彩るようにどす黒く光る。
「俺は狂っていない」
そう呟きながら男に近寄る。
男は肩を押さえながら、少しずつ後ずさりする。
「く、くるな…」
「どうして俺を認めない」
「う……うぁ……」
「なぜ俺を否定する」
「や、やめてくれ…」
俺は冷ややかな眼で物体を振りかざす。
それは外灯に照らされ、銀色と朱の2色に輝く。
「俺を受けとめてくれないんだーー!!」
ブンッ!
俺の振り上げた刃が虚しく空を斬る。
「……ちっ」
「い、命だけは助けてくれ…」
寸前のところで男は避けた。
俺はその事になにか苛立ちを感じ、再び振り上げる。
「た、たのむ…」
「黙れっ!!」
俺が刃を振りかざした瞬間――!!
「だめぇ〜〜!!」
ドンッ!
なにかが背中にぶつかり、俺は前に倒れてしまった。
「……くっ」
「うわぁぁぁ〜〜」
それを見た男は肩を押さえ、叫びながら逃げた。
「………」
「だ、だめだよ……そんなことしちゃ」
俺はゆっくりと起き上がり、後ろに振り向く。
するとそこにはあいつがいた。
「もう……こんな事はやめて」
「………」
「お願いだから……やめて」
「……氷澄」
氷澄が俺の目の前にいる。
悲しそうな寂しそうな――そんな瞳を俺に向ける。
「涼ちゃん……だったんだね」
「………」
「最近、ここら辺で惨殺死体が発見されてるの」
「………」
「信じたくないけど……そうなんだね」
どうしてそんな眼で俺を見るんだ?
俺は狂ってなんかいない。
俺の行動は正常だ。
俺のしたことは・・・間違ってないっ!
「俺は狂ってなんかいない」
「……涼ちゃん」
「俺は正常なんだっ!」
「違うよっ! 涼ちゃんは間違っているよ」
「っ!?」
間違っている?
俺が間違っているだと?
「俺は正しい」
「……ちがうよ」
「俺は正気を保っているんだ」
「………」
「俺は狂ってなんかいないんだー!!」
そう叫ぶと同時に、俺は氷澄に襲いかかる。
そして無理矢理地面に押し倒した。
「りょ、涼ちゃん……やめて」
「……殺す」
「え!?」
氷澄の顔が恐怖に染まる。
なぜ俺を恐れる?
正常な俺を恐れる理由はなんだっ!
「どうして……俺を恐れる?」
「…そ、そんなこと」
氷澄の言葉が震えている。
誰が聞いてもわかるくらいガタガタ震えている。
「なぜ俺を認めない?」
「……認めないって……なんのこと?」
「なぜだっ!」
なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!
なぜだ!なぜだ!なぜだ!なぜだ!
「涼ちゃん……元に戻って」
「……黙れ」
「涼ちゃん、お願い」
「…黙れっ!」
殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!
殺ス!殺ス!殺ス!殺ス!殺ス!殺ス!殺ス!殺ス!
コロス!コロス!コロス!コロス!コロス!コロス!コロス!
「……涼ちゃん」
氷澄が哀れみに帯びた眼を俺に向ける。
そんな眼で俺を見るなっ!
俺はおかしくないっ!
俺は狂っていないっ!
「……ヤメロっ!」
「元に戻って」
「ソンナメデミルナー!!」
俺は刃を振り上げ、氷澄に振り下ろす。
「―――」
氷澄は短い言葉を述べると、スッと目を閉じた。
「っ!?」
ドスッ!
鈍い音と共に腹部に刃が突き刺さった。
「……くっ」
腹に激痛が走る。
だが俺は構わず刃を抜き、遠くに放り投げる。
カランカラン
闇に彩る世界に乾いた音が響く。
その音に氷澄はゆっくり瞼を開けた。
「……涼ちゃん?」
「……ひ、氷澄」
ヤバイ、血が止まらない。
腹から血がドクドクと流れている。
「どうして……自分を刺したの?」
「…そ、それは」
どうしてだろう?
氷澄を殺せなかった。
氷澄の言葉を聞いたら、どうしてもできなかった。
「涼ちゃん……死んじゃ駄目だよ」
「氷澄……ど、どうして……否定したんだ?」
「……涼ちゃん」
「どうして……俺を受けとめてくれなかったんだっ!」
「!?」
視界が滲み体が倒れる。
それを氷澄が苦しそうにしながらも受けとめてくれた。
「し、しっかりしてっ」
「氷澄……どうしてだよ…」
俺は極度の人間不信だ。
他人が恐い。
人に恐怖を感じる。
自分でも嫌になるくらい人間が恐い。
だが、そんな俺でもお前は違った。
お前は俺を沢山世話してくれた。
俺を引っ張ってくれた。
そんなお前を俺は・・・
俺は・・・
「どうして……俺の想いを受けとめてくれなかったんだ…」
「……ごめん」
「くぅ……俺は……俺は…」
気がついたら俺は泣いていた。
涙を流していた。
「氷澄が好きなだけなんだ……ただ……それだけなんだ…」
「…涼ちゃん」
なんだか・・・意識が無くなってきたような気がする。
これが俺の望んだ結末か?
俺の行動の結果なのか?
「私が悪いんだね。私のせいで涼ちゃんはこんなになっちゃったんだね」
「…ひ、氷澄」
「あのときは拒んだけど、本当は私も涼ちゃんが好きなんだよ」
「……え?」
弱々しく返す俺。
そんな俺に氷澄は優しく語りかける。
「ただね。恥ずかしくて、つい断っちゃったんだ」
「………は、はは」
わかったような気がする。
俺は間違っていたようだ。
全てに否定され、氷澄に否定され。
俺は自分を見失っていた。
そして人間不信の上に人間嫌いの俺。
そう、俺は狂気に取り憑かれていたんだ。
狂っていたのは俺。
正気じゃなかったのは俺。
正常じゃなかったのは俺。
全ては俺が間違っていた。
俺は何一つ正しくなかった。
「私がしっかり受けとめていれば、こんな事にはならなかったのにね」
氷澄が優しく俺を抱きしめる。
俺は氷澄の腕の中で徐々に意識を失っていく。
「俺は……最後に…氷澄を守れて…」
「ちょ、なにを言ってるんだよっ! 死んじゃ駄目だよっ」
「狂気から……守れて………」
「涼ちゃん? まだやり直せるよっ……だから」
「よかっ………た……」
俺の体が自分の意識から離れる。
そして人形のように崩れ落ちた。
俺は解放された。
狂気から解放された。
氷澄を殺さなくてよかった。
それだけで俺は満足だ。
この結末なら納得できる。
別に望んだわけではないが、これもいいかもしれない。
だが、この結末も全て氷澄のおかげ。
氷澄が“あのとき”言ってくれなかったら違う結末になっていたに違いない。
氷澄の言葉がなかったら俺は氷澄を殺していたに違いない。
そう、氷澄の一言に助けられた。
それは・・・
『 私、涼ちゃんになら殺されてもいい 』
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