番外編2『かわらないもの』
番外編2
『かわらないもの』



月日が経っても変わらないものがある。
町並みや風景、青空と夜空、そして人と人の距離。
どんなに姿形は変わっても、ふたりの距離は変わらない。年月が経っても、ふたりは夫婦になっても昔の姿をうつしだす。
「お兄ちゃんっ!朝だよっ」
「う、う〜ん…」
清々しい朝。
だが、眠たい人間にとっては到底、関係ないことには違いない。
「後5分」
「だめっ!」
「じゃぁ、3分」
「すぐ起きなさいっ!」
ふたりのやり取りもそんなに珍しい事じゃない。少し年をとったせいか、耕一は朝に弱くなっていることを考えると想像することは造作もないことである。
「もうっ、こうなったらしかたない…」
佳奈はため息をつくと、そっと耕一の顔に近づき、無言でキスをした。
「ん…」
「………」
ふたりの唇が離れると、耕一の目がゆっくりと開いた。
「そうそう、朝は優しく起こしてくれないとね」
「…なっ!?お、起きてたの?」
「まぁね。寝ぼけてたら返事なんてしないよ」
佳奈の顔が見る見る赤く染まる。それと同時にプルプルと拳が震えた。
「どうしたの?佳奈ちゃん」
「お、お兄ちゃんのバカーッ!」
――耕一、あえなく消沈。

「あっはっはっは!あなた達は昔から変わらないわねぇ〜」
「そ、そんなに笑わないでくださいっ!」
朝の出来事を聞いた深雪は大笑いした。
ここはおなじみの九十九ちゃん。不景気知らずの向かうところ敵なしペットショップである。
「いてて」
耕一は鼻の穴にティッシュを詰め込みながら優しくさすった。そうしなければ鼻血が出てくるからである。
「私の可愛い娘をいじめた罰よ。あっはっはっは!」
「軽い冗談なんですけどね。まぁ、佳奈ちゃんらしいといえばそうなんですけど」
「あの子だってわかってるわよ。あんなに嬉しそうに生き生きとしている佳奈を見たのは初めてだもの。あなたと結婚できて喜んでいるのよ」
深雪の言葉に耕一は年甲斐もなく照れたのか、頭をポリポリとかいた。
「こんな俺を選んでくれて嬉しいんですけどね、佳奈ちゃんより年くってるから10年後なんか心配ですよ」
「そうよねぇ。10年後の佳奈は超がつくほどの美人になってるでしょうね〜!どうする?耕ちゃん」
「どうしようもないですよ。それは佳奈ちゃんが決めることですし、俺は佳奈ちゃんを信じることしかできませんから」
「いいセリフだね」
深雪の目がふっと優しくなった。
「佳奈はいい人を選んだわ。さすが私の娘ね、男を見る目は一流ね」
「母さん…」
「あなたはもっと自分を信じなさい。誰にも引けを取らない人間だってね。確かに女性の中には『優しいだけじゃダメ』という人もいるわ。でもね、本当の優しさは誰でも持っているものじゃないの」
そこまで言って深雪はタバコを取り出してくわえた。
「ふぅ〜!佳奈はあなたの優しさに惹かれた。その優しさを大切にすれば、ずっと側にいてくれるはずよ」
「まぁ、俺にはそれしかないですからね」
「それもそうね」
そしてふたりして笑い出した。

――夜遅くのこと。
耕一がいつものように寝入っていると、誰かが布団の中に潜り込んできた。
「ん…、誰?」
「えへへ、私だよ」
「佳奈…ちゃん?」
眠い目をこすりながら起きあがると、耕一はフラフラとした足取りで電気をつけに行った。
「いでっ!頭うった」
負傷しながらも耕一は明かりをつけると、そこにはパジャマ姿の佳奈がいた。
「…どうしたの?」
「一緒に寝ていい?」
「……だめ。そういうことは佳奈ちゃんがもう少し大きくなってから」
耕一の言葉に佳奈はぷぅーと頬を膨らませた。
「私たち夫婦なんだよっ!子供もいるのにどうしてダメなのっ!?」
「ケジメはしっかりしないと。佳奈ちゃんが成人になったら、いくらでもいいからね」
千鳥足ごとく、耕一は今でも寝てしまいそうな顔で布団に戻る。
佳奈はそれを見て自分の部屋に戻っていくかと思いきや、無理矢理布団の中に潜り込んでいった。
「佳奈ちゃん?」
「私はお兄ちゃんの奥さんなのっ!だから一緒に寝ていいのっ」
「そういうところが子供なんだよ」
耕一の的確な言葉に佳奈は返す言葉がなかった。
反論できない悔しさからか、佳奈が声を出さないように泣き出した。
「…ごめん」
「ぅぅっ…。お兄ちゃん、あのとき以来、抱いてくれないし、私不安で…ぅぅ」
佳奈の言葉に少し目を覚ました耕一は、言葉よりも行動で返事をした。
「…ん」
優しく佳奈を抱きしめ、その唇に自分の唇を重ねた。
いきなりのことで驚いた佳奈だが、徐々に落ち着きを取り戻すと、静かに目を閉じて細い腕を耕一の背中に回した。
――数分後。
時間が止まったようにゆっくりとふたりの唇が離れる。そしてしばらくふたりは無言で見つめ合った。
「お兄ちゃん…」
「………」
耕一は佳奈の目から零れる涙をそっと拭い取った。
「抱いて…ほしいな」
「佳奈ちゃん…」
「もう一度だけ、お兄ちゃんの温もりを教えてほしいの。そしたら、お兄ちゃんの言うこと守るから」
「………」
「ダメ…ですか?」
一瞬、佳奈の言葉遣いが大人っぽくなった。
ずっと子供だと思っていたが、やっぱり大人なんだな。この子は強い子だ。
「佳奈ちゃんがそれを望むなら、いいよ」
「いいんですか?」
「愛する人を拒むほど頑固じゃないよ」
嬉しいあまり、佳奈は耕一を勢いで押し倒すとその上に寝そべった。
「こらこら、落ち着いて」
「ご、ごめんなさい。お兄ちゃん」
「それ!それも止めてくれるかな?」
耕一は人差し指を佳奈の唇に当てていった。
「“お兄ちゃん”とは呼ばないこと、いいね?」
「でも、なんて呼んだら…」
「名前で呼んでくれたらいいよ。佳奈」
「…!」
そしてふたりはそのまま――とは、いかなかった。
「……?」
「ぅぅ〜ん」
「もしかして、寝ちゃったの?」
佳奈の読みは鋭く、静かな部屋には耕一の寝息しか響いてなかった。
「なによぅ、うそつきっ!」
怒りながらも呆れたようにひとつため息をつくと、ふっと優しい笑顔になった。
「おやすみなさい、耕一さん」
チュッと耕一の頬にキスをすると佳奈は静かに布団から出ていった。
――ガチャッ。
部屋の明かりが消え、小さな音を立ててドアが閉まった。
「佳奈ちゃん。今はこれでいいんだよ、これでね」
真っ暗な部屋に耕一の言葉が誰の耳にはいることもなく響いた。



< Fin >





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