本の内容になど初めからあまり興味はない。 行き当たりばったりで中にはいった図書館の二階の窓からふいに外をみたクロウの視線が、下の通りで一般民衆の顔をしながら歩くディーユを見つけた。 表情のない、一ブラックスミスの仮面を見事に被ったディーユ。 ディーユとは、クロウの長年の相方である鍛冶師だ。 相変わらずの早足で、通りを北のほうへ歩いていった。 人ごみにまぎれ、すぐに肉眼では確認できなくなった。 「(なんでこんなトコにいんだろ)」 視線を本に戻すも、文字が脳をかすめもせずに通り過ぎていく。 今日は確か、ブラックスミスギルドに用があると、ギルド内の鍛冶師(ようはビジャックとクトノの二人だけなのだが)と連れ立って、ゲフェンに行ったんじゃなかったのか。 クロウは今朝のギルドでの会話を思い出して、その事実を確認した。 頭はまだ、冷静にそのことを分析できている。 ゲフェンまで行ったにしては、昼過ぎのこんな時間に、首都をうろついているのは少し変だ。 だって今日はもう一日つぶれるだろうから、だから狩りもお休みで、 だからこそクロウは昼間からこんなたいして来たくもない図書館に入って、たいして読みたくもない本に目を通していたのだ。 ここまで考えて、クロウは自分の思考がこれ以上話を進めるのをいったん拒絶していることを自覚した。 認めたくないわけじゃない。ようは時間の問題だ。別の思考がそう耳打った。 嘘をついていたと決まったわけではないし、実際、その可能性は低い。 だけど話が違うことは確かだ。 こんな所でディーユの姿さえ見なければ、クロウはそんな事に気づきもしなかったろうが。 「(あー…チクショ)」 気分的に言えば、「悔しい」が一番近かった。 きっと些細なことなんだと思う。 だがきっと、クロウは今また、人生で一番悔しいことを噛み砕いて飲み込んでいる。 結局、秘密が多ければ多いほど、 自分が相方を殺してやりたいほど憎くて、 殺されてしまうのではないかと思うほど惚れさせられているのだとクロウは思い知る。 子供時代を一緒に過ごした、俗に言う幼馴染とかいう関係だったはずが、 思春期を別に過ごした人間は、こうも食えないものなのか。 何一つ、隠し事などなく、相手の世界の限界を確実に知っていたあのころの感覚が いまだに抜けていないのかもしれない。 気づいていないのだろうか、それとも気づかせて知らん顔しているのだろうか、あの、 いやに大人びた笑顔が。 いや、自分も相方も、年齢的には十分大人なのだから、「大人びた」という表現は不適切だろうか。なら言い換えよう。 世間の汚いものを――或いは、自分の中にずっと内在していたそれを――受諾してしまっていた自分を認識していてなお、何も知らなかった頃と同じような生活をうわべだけで繰り返している人間だけが浮かべる笑みだ。 自分がその笑顔をしないというわけではない。 クロウだってディーユと同様、年齢的には十分大人なのだから。 再会してから数年間は、ディーユが嘘が上手いことなど、気づきもしなかった。 当たり前だ。 上手いから、誰も嘘だと思わない。 それに気づいた近頃でも、いや、気づいた近頃だから、 自分にかける言葉も、夜毎、頻繁に耳にするあのセリフも、 全部、まったくのでたらめなんじゃないかと思ったりもする。 そういう類いの嘘は、また際立って上手そうだし。 だけれど紙一重で、そうじゃないことをクロウは知っている。 なぜって、クロウは男だから。 そうまで取り繕って、セックスをする意味がないのだ。 ディーユと自分の関係に、一番支障をきたすはずだった部分が、 いまやクロウの確信になっている。 これがいわゆる、皮肉ってやつだ。 ―― 男同士だから不毛だと、声に出した時点でこのゲームは終わり。 ディーユが、そう思っていない保障はどこにもない。 だけど相方が、自分の聞いている予定とは少し違った行動をしていたのを見ただけで、こんなところにまで考えがのめり込んでしまうのは一体なんだ? いつから自分はこんなに臆病になった? いつのまにか本を閉じ、クロウは図書館を後にしていた。 * その日の夜は休日と同じように、宿屋の酒場で集会という名の晩酌が行われて、 ギルドメンバーがほどよく酔い切らないうちにそれはお開きとなった。 食事中、クトノやビジャックに、今日のことは聞こうかと思ったが、フェアじゃないのでやめた。 それが本当にフェアじゃないことなのかどうなのか、クロウには解からない。 だが、 “ 万が一フェアじゃないことだったらマズイので ”、聞かなかった。 集会の後はそれぞれ自分の部屋にかえる。クロウもいつも通り相方と同じ宿部屋に帰り、話すあてもなくドアを閉めた。 ディーユは荷物からタオルを取り出そうとしていた。クロウはろくに準備もしないまま、ベッドまで歩いていき、座って、ほとんど同時に口を開いた。 「昼頃なにしてた?」 質問を聞き返すようにディーユが振り返った。不思議そうな顔をしている。これすらもう、嘘の一部なのかもしれないが。そんなことを考え出すと疑心暗鬼だし、だいち、この尋ね方は、クトノやビジャックに聞かなかった理由とまったく矛盾していることに気が付いた。 すぐに種明かしするみたく、クロウはディーユの目を見ていった。 「見かけたから」 少しおかしそうに笑ってみる。一体何がおかしいのか自分でもわからない。 間があった。 それは会話をするうえで、ごく一般的な空白だったかもしれない。 クロウには長く感じた。 そしてその短く長い一瞬に、いろんなことが脳裏をかけめぐった。 クロウには自分がディーユに望んでいるものが解かる。 頭の切れる相方が咄嗟に吐いてくれる完璧なつじつま合わせ、だ。 ただしそれは同時に、クロウが最も望まないものでもあった。 「あー、代売。ギルマスの急用で、ファイアクレイモア届けてた」 正確にはギルマスの客の急用で、だけど。 ディーユはそう答え、荷物の中から左手で探していたタオルを引っ張りだした。 「内緒のデートじゃねぇんだよ? 残念デスけど」 困ったような顔をして、ふざけてみせるディーユは、寸分狂わずいつものディーユだった。 「ああ、そりゃ残念だったな」 下らないジョークに、クロウは笑う。 「ホント、非常に残念だ」 ディーユもそれを繰り返して、それから絶妙なタイミングでクロウを見、にへら、と笑った。 「妬いた?」 「冗談!」 クロウが間髪いれず答えられたのは、いつもの会話の習慣だったからであって、決して余裕ができたからなのではない。 ただその返答は、ことのほかディーユを満足させたようで、さっきの笑いからどこかお気に入りのライターでも見るような表情に変わって、彼は言った。 「じゃあ、お先シャワー頂きます。まだ寝んなよ、ダーリン?」 「くだんなかったら、最中に寝てやる」 聞き終わる前にディーユはシャワールームへ入っていって、ははは、とずいぶんおかしそうに笑っていた。 「(こっちの気もしらないで。)」 知られていてはいけないのだが。 彼の秘密は、ディーユが自分でない以上、クロウにはどうしようもできないことで、またしてはいけないことだから。 だったら、自分が相手にそうであるみたいに、相手を自分に惚れさせ続ければいい。 そんな方法でしか、クロウはディーユを繋ぎとめておくことができないのだ。 そしてこれを、自分達は恋と呼んでいる。 今のところ、不毛だとは思わない。 ずいぶん腹の立つことではあるのだけれど。 |
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