第14話『絆 〜祐樹と百合音〜 』
第14話
『絆 〜祐樹と百合音〜 』
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三奈子ちゃんを無事送り届けたあと、まっすぐ家に帰ってきた。
百合音ちゃんが帰る場所といったらここしかないから。
「……よかった、やっぱりいる」
玄関に入ると、百合音ちゃんの靴が置いてある。
ただ、いつも綺麗に揃って置いてあるのに今日だけは散らばっていた。
それは百合音ちゃんの心を表しているようだった。
「ふぅ、考えるのは後にして、まずは夕飯を作らないと…」
ひとまず台所に向かい、夕食の用意にかかった。
………
夕飯を作っている間、百合音ちゃんが台所に姿を現すことはなかった。
俺は盆に料理を乗せ、百合音ちゃんの部屋まで持っていく。
コンコン・・・。
部屋まで来た俺は軽くノックをし、声をかける。
「百合音ちゃん、夕飯ができたからここに置いておくね」
『………』
何も答えないものの、中に人がいるのは明白だった。
百合音ちゃんのものであろう、すすり泣く声が聞こえてくる。
俺は盆をドアの前に置き、壁にもたれながら喋りかけた。
「その…、ごめんね。
叩くつもりはなかったんだ……、百合音ちゃんにはいつも素直でいてほしいから…。
つい、カッときちゃって………本当にごめん」
『………』
「ははは、俺って百合音ちゃんの兄失格だよな…。
妹を叩く兄なんて、兄じゃないよな………俺ってダメな兄だよな…」
不意に視界が滲んだ。
俺の目から涙が流れる・・・悔しいからか・・・悲しいからか。
どちらかわからないけど、涙が止まらない。
「百合音ちゃんには俺と同じ思いはさせたくないって頑張ってきたけど、俺ってやっぱりダメだ。
叩いてしまったら、結局、俺と同じなんだよな…」
『ワガママ言うな』っていつも叩かれていた自分と同じだった。
百合音ちゃんを叩いた以上、俺も俺の親と同じ。
同じ思いをさせたくなかったのに、同じ事をしてしまったのだ。
「百合音ちゃん、ごめん……ごめんね…」
俺はその場で泣き崩れ、少しずつ意識を失っていった・・・。
………
「…ん?」
ふと、目が覚めると外はすっかり暗くなっていた。
「俺……どうしたんだ…」
自分に掛かっている毛布を畳んで隣に置き、少し考える。
たしか、百合音ちゃんに謝っているときまでは憶えているんだけど。
その後の記憶がない、寝てしまったのだろう。
だとしたら、この毛布は百合音ちゃんが掛けてくれたのか・・・。
「もう、寝ちゃったのかな?」
百合音ちゃんの部屋の前に置いた盆がない。
片付けて寝てしまったのだろう、俺も飯を食うか・・・。
パタパタ・・・
真っ暗な廊下を歩いていると台所から光が見えた。
俺はそっと中を覗き込むと、ながしで食器を洗っている百合音ちゃんの後ろ姿があった。
「………」
俺はその後ろ姿を眺め、洗い物が終わるまで待った。
………
・・・キュッ。
ちょうど百合音ちゃんが蛇口を閉めたところに声をかけた。
「…百合音ちゃん」
「…!」
俺の問いかけに百合音ちゃんの肩がビクッと震える。
だが、後ろに振り向こうとはしなかった。
「…その」
「私、三奈子ちゃんに謝る…」
「………」
「どんな理由があっても、私がしたことは悪いから…」
「そう…だね」
優しく百合音ちゃんの意見に賛同する。
百合音ちゃんの背中は寂しそうで、他にも言いたいことが沢山あるように見えた。
「三奈子ちゃん、お兄ちゃんのことが好きだって…」
「ああ、本人から聞いた」
「そう……なんだ」
「気持ちは嬉しかったけど、断った」
「………」
俺の言葉に百合音ちゃんは何も答えなかった。
俺は黙って百合音ちゃんの後ろ姿を眺める。
なんて声をかけていいのか、わからないのが本当のところ。
今の俺にはなにも言う資格が無いように思えた・・・。
「お兄ちゃんは、いつも私に優しいね。
小さい頃から何度も助けてくれて、体育祭や文化祭も来てくれた。
中学の卒業式なんかは大切な試験を捨ててまで見に来てくれた…」
「………」
「兄失格なんて言わないで、お兄ちゃんは私の自慢の“お兄ちゃん”なんだから…」
「………」
「自慢の……たったひとりの…お兄ちゃんなんだから…」
百合音ちゃん・・・。
こんな俺でも、まだ“兄”と言ってくれるなんて・・・。
「私はお兄ちゃんの妹だけど……だけどね…」
「うん」
「お兄ちゃんのことを好きになったらいけないのかな?」
「そんなことないよ。妹に好きだって言われて嫌な兄がいるものか」
「お兄ちゃんにとって私は“妹”なんだよね?
でも、私にとってお兄ちゃんは……」
ふるふると肩を震わす百合音ちゃん。
俺はそんな百合音ちゃんのすぐ後ろまで行き、優しく抱きすくめた。
「それ以上は言わなくいいよ。わかっているから…」
「ぐす……お兄ちゃん」
百合音ちゃんが小さな手を俺の手に重ねてくる。
その手のひらにいくつもの滴がポタポタと落ちていく。
「俺も百合音ちゃんが好きだから…」
「………」
「ひとりの“女の子”として好きだから…」
「ほんとう? 妹じゃなくて百合音として?」
「うん」
「ほんとにほんとう?」
疑り深い百合音ちゃんをくるりと回転させ、顔を合わせるようにして見つめる。
「俺のことが信じられない?」
「ううん。そうじゃないけど…」
「仕方ないな。じゃぁ、目をつむって」
百合音ちゃんは小さく頷くと何の疑いもなく目をつむった。
そんな百合音ちゃんの唇に自分の唇をゆっくりと近づける。
「…ん」
唇が重なった瞬間、百合音ちゃんから小さな声が漏れた。
「……どう? これで信じてくれる?」
「………(ぽっ)」
唇を放して尋ねるが、百合音ちゃんは顔を真っ赤に染めるだけだった。
そしてポツリと呟く。
「ファーストキス…」
「ごめん。俺がもらっちゃった」
「…うれしい」
「ちなみに、俺もファーストキスだからね?」
「…えへへ。私がもらっちゃった」
「うん、百合音ちゃんにあげたよ」
百合音ちゃんの華奢な体をキュッと抱きしめ、優しく頭を撫でる。
すると嬉しそうに俺の胸に顔を埋めてきた。
「百合音ちゃんは俺にとって、家族であり、妹であり、大切な女の子なんだ」
「うんっ……私も同じ」
「そっか」
「だ、だから……私のこと…す、好きにしていいよ」
「ゆ、百合音ちゃん…」
俺の手から離れ、自分の服のボタンに手をかける百合音ちゃん。
そんな百合音ちゃんの手を握り、止めさせる。
「私、知ってるよ。男の人は好きな人を……その…」
「………」
「わ、私もお兄ちゃんにならいいから…」
「俺もしたいけど、それは百合音ちゃんがもうちょっと大きくなってからね?」
「………」
「百合音ちゃんのこと、大切にしたいんだ」
「…お兄ちゃん」
「だから、無理して大人っぽく振る舞わなくてもいいんだよ?
いつもの百合音ちゃんを見せてほしいんだ」
俺は気づいていた。
百合音ちゃんが大人っぽくなったのではなく、振る舞っていただけなのだと。
それは、少しでも俺に近づきたいという表れだった。
「………」
「無理して『私』なんて言わなくていいんだ、前のように『百合音』って言ってよ。
俺はそんな百合音ちゃんが好きだよ」
「…うん。でも、子供っぽい百合音は嫌いじゃない?」
「そんなことはない。俺は自然のままの百合音ちゃんが好きなんだ」
「ありがとう〜、お兄ちゃんっ」
再び抱き合う俺と百合音ちゃん。
俺達は家族を超え、兄妹を超え、年月を経て結ばれた。
俺と百合音ちゃんを“兄と妹”から“祐樹と百合音”に変えたのは深くて強く、何者にも引き裂くことのできない――
“絆”――だったのかもしれない。
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