第5話『足枷』
第5話
『足枷』
トコトコ・・・
いつものように千奈を小学校に送り届けた後、高校に向かう。
その足取りは軽く、なんだかいつもより気分がよい。
冷たいはずの冬の風も今日はそんなに感じない。
俺の心と同じように気温もいつもより温かく感じる。
「さて、頑張るか…」
いつもの俺らしくないが、自分に気合いを入れる。
少し遅れているので足早に学校に向かう。
綾音がいてくれる――それが俺の原動力。
ガラガラ・・・
いつものように教室に入るとたくさんの生徒の喧騒。
その中で俺にかけられる言葉。
「誠一、おはよー!」
「おっ? 今日は早いな」
そんな言葉にいつもより元気な返事をして自分の席に着く。
柄にもなく鞄から教科書を取り出すと机の中に放り込む。
今日は少し勉強をしようかと思う。
今まで腐っていたから勉学もおろそかにしていたからな。
これじゃぁ、綾音に笑われてしまう。
それに綾音は心配するに違いない。
あいつはそういう奴なんだ。
キーンコーンカーンコーン
1時間目の合図。
俺は教科書を取り出し教師の言葉を聞く。
・・・が、いかんせん。
まったくわからん。
今までサボっていたのが痛かった。
自業自得なのだが、こればかりは苦しすぎる・・・
「……ふぅ」
ペンを放り投げ、なんとなく窓の外を見る。
俺の席は窓側の一番後ろなので居心地がいい。
その上お昼寝には最適だ。
そう言えば・・・俺がよく寝転けてしまって、いつも綾音に起こされていたな。
綾音は幼なじみなのだが、少しうるさかった気がする。
世話焼き女房じゃあるまいし、俺をいつも面倒見たがる。
そのくせ、自分は朝は毎日のように俺に起こされているなんて・・・
今にして思えば、綾音は俺が好きだから世話を焼いていたんだろうな。
そんな綾音を鬱陶しく思いながらも突き放すことができなかった俺。
俺もそんな綾音に惹かれていたんだろうな。
だから、昔から周りにからかわれても綾音と離れなかった。
そういうことなんだろうな。
「………」
なんとなく綾音が座っていた席に目を向ける。
今はその席は誰もいない、ただの無人だ。
もう、綾音がその席に座ることはない。
だけど綾音は俺の前に現れた。
綾音ともう一度学校生活を送りたい・・・
それは俺のワガママなんだろうか?
不可能なんだろうか?
俺にできることはなんだろうか?
綾音になにをしてやれるのだろうか?
綾音が望むこと・・・綾音が求めること・・・
俺はどれだけそれを叶えてやることができるだろうか?
「……ふわぁ」
いろんな事を考えていると欠伸がでた。
暖かい日差しに照らされ、俺は深い眠りに入ってしまった・・・
………
ガヤガヤガヤ
いつものように騒がしい声。
授業から解放された事を喜ぶ生徒達。
今まで何一つ楽しくなかった俺だが、今日はなんだか嬉しかった。
早く家に帰りたい・・・
綾音の顔を見たい・・・
そんな衝動が俺を駆り立てる。
ダッダッダ・・・
俺は自分の行動を抑えることなく、任せることにした。
急いで下駄箱に向かい、靴を履き替え学校を出る。
トコトコ・・・
校門を出たところで、ゆっくり歩くことに切り替える。
何気なしに空を見上げると、うっすらと茜色に染まりはじめていた。
冬は日が暮れるのが早い。
なんだか少し寂しい季節だな・・・
ふとそんなことを考える。
昨日の夜までは厳しい季節だった。
外は冷たい風が吹き、俺の冷えた心を更に冷やす。
容赦なく気温は低下して、嫌でも寒さを感じさせる。
それが嫌だった。
どこか俺を追いつめるようで嫌だった。
「でも……今は違うよな」
声に出して確認する。
今は違う、今は綾音が帰ってきてくれた。
理由はなんだっていい。
二度と会えないと思っていた人に会えたんだ。
嬉しくないはずがないっ。
俺は気づいたから・・・
綾音がどうしようもなく好きだと気づいたから・・・
「ふっ、本人には言えないな…」
自分で言って笑ってしまう。
地面にぼやけて映る影もゆらゆらと揺らめく。
俺が肩を震わせて笑うようにつられてゆらゆらと。
「はははっ」
何ヶ月ぶりだろう?
俺が心の底から微笑んで笑えたのは・・・
綾音が死んだと聞いてから笑ったことは無かった。
今までずっと。
その俺が笑っている。
影も一緒に笑っている。
いつの間にか空は夕日に移り変わっている。
俺は夕日に照らされながら家路につく。
今まで重かった足が嘘のように軽い。
そんな足で歩く。
全ての足枷が取れ、楽になったように・・・
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