第6話『あの頃』
第6話
『あの頃』


「ただいま〜」

いつもより元気な声で家に入る。
すると奥からパタパタと音を立てながら近づいてくる人物。
その人物はいつも俺に笑顔を向けてくれた人。
俺が安心できる微笑み。

「おかえりなさ〜い」

「ああ、ただいま」

少し長めのスカートに俺のトレーナーを着て現れた綾音。
長い髪を綺麗に揺らしながら歩く姿にしばし見惚れる。

「どうしたの?」

「い、いや…」

もの凄く綾音が可愛い。
袖が長すぎて指が申し訳ない程度に出ているのがニクイ。
綾音はそれを知ってか知らずか、ニコニコと微笑みかけてくる。

「誠ちゃん……きゃっ」

何かに躓いたのか、綾音が転びそうになるのを咄嗟に受けとめる。
その結果、綾音を抱きしめてしまう形になってしまった。

「…っと、大丈夫か?」

「う、うん」

俺より一回り小さい綾音の体。
今、俺はそれを抱きしめている。
体が密着していて相手の鼓動がわかるほどに。

「…あ」

「どした?」

「誠ちゃんの鼓動……高鳴ってる」

綾音の言うとおり、俺の心臓は破裂しそうなぐらい高鳴っていた。
何故だか知らないが、綾音を抱きしめていると凄くドキドキする。
それと同じぐらい綾音の心臓も高鳴っている。

「あ、綾音だってそうじゃないか」

「…う、うん」

なんとなく気まずい2人。
だからといって悪い空気ではなく、むしろ温かい時間。
ただ、それがなんとなく気恥ずかしくて、お互いを黙らしてしまう。

「………」

「………」

な、何か話さなければ・・・
そう思うものの何も口からは出てこない。
何も思いつかない。
抱きしめている手を離せばいいだけなのに・・・
それができない。
心のどこかで綾音を離したくないと思っている自分がいる。
今までの俺では信じられないこと。

綾音を解放しなければ・・・

だけど、この偶然を終わらせるのは嫌だった。
いつもの自分は素直じゃないから、この時だけは・・・

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、どうした…」

俺達を心配したであろう砂奈が玄関に来た瞬間。
2人抱き合っている姿を見て、見事なまでに固まってしまった。
そんな砂奈と目があった。

「さ、砂奈」

「そう……だよね、うん」

「お、おいっ」

なにやら一人で納得する砂奈。
変に誤解してなければいいが・・・って、俺達は恋人同士だから変じゃないか?

「ご、ごめんね……もうすぐご飯だから来てね」

「あ、ああ」

砂奈は顔を真っ赤にしながら、そそくさと行ってしまった。
俺達のやり取りを聞いていた綾音がモゾモゾと見上げてくる。
そして2人の視線が合うと、なんとなくお互い照れてしまった。

「そ、そろそろ飯だから行くか?」

「あ、うん」

俺は名残惜しいが綾音を解放する。
すると綾音も少し寂しそうな表情をしながら俺から離れた。

「誠ちゃん……変わったね?」

「変わった? 俺が?」

「うん、優しくなった」

優しくなったか・・・
それは違うと思う。
俺は別に優しくなんかなっていない。
自分の気持ちに気づいただけのこと。
恥ずかしくて口には出せないが、自分ではわかっている。

「別にそうでもないさ」

「ううん」

綾音は長い髪を振り乱しながら大きく顔を振る。
俺はそんな綾音を見て、つい笑ってしまった。

「あ、笑ったぁ〜!」

「ははは、綾音は変わってないな〜」

「そ、そんなことないよ〜」

頬を膨らませて怒る姿はまさにお子さま。
おいおい、幼児化でもしているのか?

いつの間にか、さっきまでの気恥ずかしさは無くなっていた。
そしていつものようにからかう俺とそれに困る綾音。
そう・・・“いつものような”2人。
綾音を失ってから久しく忘れていた空気。
それが再び戻ってきたことを実感した。

戻ってきたんだ・・・あの頃に・・・





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