第14話『名前混同』
第14話
『名前混同』
「この猫の名前は『アヤネ』だ!」
俺が砂奈と千奈に爆弾発言をしてからのこと。
我が家では何度も名前が飛び交うのだった。
………
「アヤネたん〜〜そっちはダメぇ〜〜」
千奈が汚れたアヤネを追いかけて家の中を駆け回る。
そんな長閑な光景を目に、俺はテーブルでのんびりとお茶を飲む。
「アヤネにもまいったものだ…」
「………」
俺の目の前には複雑な表情の綾音。
嬉しいような困ったような表情を俺に向ける。
「あやや〜、アヤネたん〜〜」
遠くから聞こえる千奈の悲鳴。
それはそれはとても可愛らしい。
聞いていてなんだか楽しい気分になってくる。
「こら〜〜! アヤネ〜〜」
今度は砂奈の怒鳴り声。
大きな声で『アヤネ』と叫びながら追いかけている様子。
「世の中は平和だな」
「そ、そんなことないよ〜」
なにやら顔を赤くしながら抗議をするアヤネ。
じゃなかった、綾音。
「窓の外を見てみろ、清々しいほどの天気じゃないか」
俺はざーっとらしく窓の外を眺める。
そんな俺に冷たい視線を送る綾音。
なんだが心が痛くなってきたような気がする。
「猫ちゃんの名前を変えてよ〜」
「嫌だ」
「ど、どうしてよ〜」
「『アヤネ』がいいんだ」
「…え?」
綾音は驚いたような声を上げ、ポッと顔を赤らめる。
ぷぷぷ、まったくなにを考えているんだか。
「アヤネがいいんだよ」
「せ、誠ちゃんがそこまで言うなら…」
「その方が楽しいからな」
「…え?」
また驚いたような声を上げる綾音。
だが、今度はさっきと違って少し怒っている様子。
やべっ、俺ってば墓穴掘ったか?
「す、好きな女の名前を付けるのは常識じゃないかぁ〜」
「誠ちゃん、口元が引きつっているよ」
「き、気のせいだろう?」
「むぅ〜〜! また私をからかってぇ〜〜ぷんぷん」
自分でぷんぷんと言いながら頬を膨らませる。
その姿はいつみても子供っぽい。
だからというわけではないが、綾音をからかうのは止められない。
「あ、綾音?」
「むぅ〜〜むぅ〜〜」
「………」
こりゃダメだ。
こうなっては綾音はなかなか戻ってくれない。
いつものように気長に待つか・・・
「………」
「むぅ〜〜むぅ〜〜」
「……ふぅ」
アヤネって名前を付けたのはちゃんとした理由がある。
ただ綾音をからかうために付けたんじゃない。
素直になれない俺が綾音に猫を通して想いを伝えるために・・・
綾音の怒った顔も笑った顔も見ることができる間に見るために・・・
いつ綾音が消えてしまっても温もりを忘れないために・・・
「誠ちゃん…」
「…うん?」
「そんなに悲しそうな顔をしないで」
そう言って綾音が心配そうな顔で俺を覗き込む。
その瞳は俺の心を見透かすように透き通っている。
俺は一瞬ドキッとしたが、いつものように素っ気なく言い返す。
「そ、そんなことはない」
「私の名前を付けたのはちゃんと意味があるんだよね?」
「…そ、そんなこと」
俺はそこまで言って言葉を濁す。
咄嗟のことで言葉が浮かばない。
「綾音をからかうためだ」
そんな俺から出た言葉といえば、いつもの軽口だった。
だけど、そんな俺の言葉にも綾音は嬉しそうに微笑む。
「んふふ。そういうことにしておいてあげる♪」
「か、勝手にしろ」
恥ずかしくなった俺は、手に持ったお茶を口につけ全部飲み干す。
そしてコップをテーブルに置くと、そそくさと台所を去ることにした。
「にゃ〜〜ん♪」
・・・が、そんな俺の前に猫が現れた。
猫は俺を行かせんとばかりにピッタリと立ちふさがる。
「アヤネか…」
俺は手を伸ばし、そっと抱え上げる。
そのままの姿勢で体を180度捻り、綾音に渡す。
「ほら、お前の猫だ」
「うん」
綾音は元気に返事すると俺から猫を受け取る。
するとアヤネは嬉しそうに綾音の膝の上に行くなり丸くなった。
そんな一人と一匹の姿を見た俺は背を向けて足を進める。
「誠ちゃん…」
「綾音、俺は一日中お前の側にいてやることはできない」
「………」
「だから、俺がいない間はその猫で我慢してくれ」
「……うん」
「それだけだ」
自分の言いたいことを述べた後、俺は台所を後にした。
「……って、肝心なことを忘れていたっ」
出ていく寸前のところで俺は振り返り綾音に叫ぶ。
「だからって、その猫に俺の名前はつけるなよ?」
「ぎくっ……そ、そんなことはしないってば〜」
なんだよ、その『ぎくっ』ってのはよ。
ちゃんと釘を刺しておいて正解のようだ。
ホッと一安心した俺は今度こそ台所を後にしたのだった・・・
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