第17話『越えられない壁』
第17話
『越えられない壁』


それはいつものように夕飯が終わった後のこと。

俺はいつものようにテレビを見ながらお茶を飲んでいた。
ジジ臭いとは思いつつもこれだけは止められない。
日本人はやっぱ茶に限る。

「ずず〜〜」

喉に染み渡る苦み。
これがたまらない。
子供には欠片もわからないことだろう。

「わぁ〜〜」

「…ん?」

叫ぶような声がひとつ。
俺はふとそちらに目を向けると、台所に入ってくる千奈の姿。

「千奈っ、服をきなさい」

「はぁ〜〜い」

風呂からあがってきたであろう、裸の千奈に注意した。
千奈は元気に返事するが、テレビを眺めたまま動こうとしない。
俺はやれやれと思いながら脱衣所に向かう。

「ち、千奈ちゃ〜〜ん」

すると前方から千奈を呼ぶ綾音の声。
俺はその声に適当に返事をしながら足を進める。

「せ、誠ちゃんっ!?」

「おうっ、千奈の服をく…」

「きゃうっ」

言葉を失った。
俺の目の前にはバスタオル一枚の綾音。
そ、そうだった・・・千奈は綾音と風呂に入っていたのだ。
それを忘れていた。

「えっと、そのだな…」

「………」

俺はしどろもどろしながら言葉をつなげる。
だが、視線は綾音から離れない。
いや、離すことができなかった。

「きゃぁぁぁ〜〜」

綾音が叫びながら脱衣所に引き返していった。
俺はただ呆然とその光景を眺める。
そして我に返る。

「……千奈を連れて行くか」

誰に言うわけでもなく、そう呟くと台所に戻る。

「千奈〜〜」

「なぁに?」

「ほら、行くぞ」

「あやや、おにぃたん〜」

俺は千奈の小柄な体を抱え、脱衣所に向かった。
千奈が俺の腕の中でバタバタと暴れるが関係ない。
早く服を着させねば・・・

トコトコトコ・・・

脱衣所の前まで来ると、まず声をかける。

「綾音」

「せ、誠ちゃん!?」

「ああ、千奈を連れてきたから服を着せてやってくれ」

「う、うん。わかったよ」

「それじゃ…」

そう言って去ろうとする俺より早く、千奈が自分で脱衣所の扉を開けた。

「……あっ」

小さな声がひとつ。
俺と綾音の目が合い、2人とも固まってしまった。
下着姿で立ちつくす綾音。
それをマヌケ面で見つめる俺。

「ららぁ〜〜♪」

そんな俺達にお構いなしに意味不明な歌を歌う千奈。
脱衣所に入っていくと、自分でさっさと着替え、何処かに行ってしまった。

「あ……そのだな…」

「…う、うん」

返事をする綾音の声が上擦っている。
無理もないだろう。
こんな恥ずかしい姿を目撃されたのは生まれて初めてのはずだ。

「えっと……その…」

「…は、はい」

「いい体してんな?」

極度の緊張をした俺から出た言葉はそれだった。
だー! 俺はなにを言ってるんだー!!
そんなこと言うつもりはなかったのに・・・

でも、綾音の奴いつの間にこんなに成長したのやら・・・

「……せ」

「…ん?」

「誠ちゃんのエッチィ〜〜〜〜〜〜!!!!」

綾音の叫びと共に、衣類やらなんやらが俺に飛んでくる。
お、おいっ・・・ヤバイって。

「あ、綾音……やめろっ」

「わぁ〜〜ん! エッチィ〜〜」

「お、俺が悪かったから物を投げるのはやめろぉ〜」

「わぁ〜〜〜〜ん! 誠ちゃんのバカァーー!」

バタンッ!

豪快な音と共に脱衣所の扉が閉められた。
俺は内心ホッとする。

「……ふぅ」

周りを見てみると、衣類やその他の物が豪快に散らばっていた。
やれやれ、片付けるのも大変だな。
重い腰を上げ、ばらまかれた衣類を拾いはじめる。

「……っと、これは俺のトレーナー?」

これって確か、綾音が気に入って着ていた物だったような・・・
それにスカート。
これも綾音が履いていた物だ。

以上のことから分析すると、脱衣所の中にいる綾音には着る服がない。
・・・と、いう結果に至ることが判明した。
ってーと、綾音は再び現れると私は推理する。
それも遠くないとき、たとえば今すぐとか・・・

・・・ガラガラ

「せ、誠ちゃん…」

「やっぱり…」

案の定、綾音は出てきた。
俺の推理は当たったのだ。

「どうした?」

「……服」

「服? これか?」

そう言って俺は隙間から顔を覗かせている綾音に見せる。
すると綾音は赤い顔をしながらうんうんと頷いた。

「ほれ、さっさと着替えろ」

「あ、ありがと」

綾音はひったくるように取ると、そそくさと中に消えていった。
俺はふぅっとため息を吐き、廊下にばらまかれている残りの服をかき集める。

『誠ちゃん』

「なんだ?」

中から声をかけてくる綾音に返事をする。
俺は服を拾いながら続きを待つ。

『さっきはゴメンね』

「気にするな、俺だって悪いからな」

『……うん』

元気なさそうな声。
綾音なりにすまないと思っているのだろう。

『あはは、私ってもうお嫁にいけないね…』

「ばーか、昔じゃあるまいし、なに言ってんだよ」

『んふふ、そうだね』

「もし、そうだったら俺がもらってやる」

『…え?』

「………」

『…うん』

扉越しの嬉しそうな声。
俺にはそれだけで嬉しかった。
綾音の喜んだ声。
それだけで温かい気持ちになれる。
たとえ無理でも綾音の気持ちには応えてやりたい。

俺は生きていて、綾音は死んでいるから。

それが2人の違い。
たったひとつだけの違いだけど、とてつもなく大きい違い。
認めたくないがそれが真実。
綾音はいつか消えゆく者。
俺はこの世で生きる者。

たった、それだけの違いなのに・・・
そんな違いだけの俺達なのに・・・

脱衣所の扉みたいに俺と綾音の前に立ちふさがる壁。
手を伸ばしても綾音を掴むことはできない。
声は聞こえているのに・・・
姿は見ているのに・・・

たった、それだけなのに・・・





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