第21話『気づいた想い』
第21話
『気づいた想い』
「さーて、勉強でもすっか」
そう言って俺は鞄から教科書とノートを取り出す。
筆記用具も忘れずに。
「やる気満々だね」
「おうっ、留年はしたくないからな」
「切実だね」
「おうっ!」
冗談で済まないところが恐い。
今の俺には留年という、それはそれは世にも恐ろしい物が待っているのだ。
このままダメダメ街道を突っ走っていると確実なのは確か。
なんとしてもそれだけは避けねばなるまい・・・
「どの科目がダメなの?」
「全部」
「…え?」
「体育以外は全部」
「………」
黙ってしまった綾音。
だが、すぐに微笑みを向ける。
「また、私をからかっちゃやだよ〜」
「………」
今度は俺が黙ってしまった。
いや、今のは本気だ。
今回ばかりは冗談じゃないんだよ。
「…すまない。本当なんだ」
「………」
「どの科目もサッパリなんだ」
あえて理由は伏せることにした。
理由を言ったら綾音は悲しむだろう。
それに俺だって綾音のせいにしたくはない。
これは自分が悪いのだから。
腐っていた俺が悪いだけのこと。
「わかった! 私でよければ手伝うよ」
「それは助かる」
「ビシビシ厳しくするからねぇ〜」
「そ、それは勘弁してくれ」
「やだぁ、いつも私をいじめるから今回はお返し」
因果応報。
なんて響きのいい4文字熟語なんだ。
今の俺がまさにその状況。
自分のしてきたことが今になって返ってきた・・・ブラボー!
「あ、あれは俺なりの愛情表現であってだな…」
「言い訳無用っ〜」
「は、はい…」
綾音に強く言われてシュンと俯く俺。
心の底から楽しいと思える時間。
そう考えると笑いが込み上げてきた。
「は、はははははは」
「んふふ」
俺につられて綾音も笑う。
こうやっていつも笑ってきた2人。
ときには喧嘩して、ときには離れて・・・
それでも俺と綾音は一緒だった。
何年も一緒だった。
これからも一緒だといいよな・・・
「誠ちゃん?」
「ん? ああ、すまない」
「勉強はじめるよ」
「おうっ」
2冊持ってきたノートから一冊綾音に渡す。
ついでに教科書も渡す。
俺が読んでもなにが書かれているかサッパリだからだ。
こういうときは綾音に解読してもらうに限る。
「誠ちゃんはどこがわからないの?」
教科書を見ながら綾音が尋ねてくる。
その問いに俺は正直に答えた。
「まったくもって全部」
「…そ、そうなんだ」
「だから最初から教えてくれ」
「わ、わかったよ」
綾音は力強く頷いて、ノートを開く。
こいつの教え方は普通の授業よりわかりやすい。
綾音なりに噛み砕いたわかりやすい文をノートに書いて教えてくれる。
それがまた面白いのなんの。
図を書いたら形が歪だったり、地図を書いたら日本が中国より大きかったり・・・
他にも長方形が菱形だったり・・・どうやったらそうなるんだ?
極めつけは動物。
本人は猫を描いたというのだが、誰がどう見てもオオアリクイ・・・
逆に言えば、オオアリクイを描けといわれたら描ける人は少ないだろう。
そういう意味では凄いことなのかもしれない。
勉強は驚くくらいできるのに、芸術系と運動系が超が付くほどダメなんだよな。
まぁ、それくらい欠点がないと可愛げがないといえる。
だからこそ俺は惹かれた。
完璧とも思える綾音にも欠点があった。
その欠点がすっごく人間臭くって、可愛いとさえ思ってしまった。
「…あ、猫っていえば」
そうそう、綾音は猫を飼っていたよな。
大の猫好きで小さい頃に見たことがある。
ふつーの野良猫だったけど・・・
「なぁ、あや…」
「………」
ノートを開いたままジッとなにかを見つめる綾音。
その眼差しは真剣で、一瞬声をかけるのを躊躇ってしまうほどだ。
「あ、綾音?」
俺は意を決して名前を呼ぶ。
すると綾音はハッと我に返ったように顔を上げた。
「どうした?」
「う、ううん。なんでもないよ」
「そうか?」
「う、うん…」
綾音は首をぶんぶんと大きく縦に振る。
そして手に持ったノートを一枚破るとスカートのポケットの中に無理矢理突っ込んだ。
俺はその行動を不審に思い、尋ねる。
「おい、なにをやってるんだ?」
「な、なんでもないよ…」
「なんでもないって……怪しすぎるぞ?」
「だ、だからなんでもないって」
怪しい。
滅茶苦茶怪しすぎる。
怪しすぎるが大したことではない。
まぁ、綾音だっていろいろあるんだろう。
これ以上問いつめるのは止めて、勉強でもしよう。
「わかったよ。それより勉強を教えてくれ」
「う、うんっ」
………
「だからね、ここはこうなって…」
「…ってーと、こうか?」
「うーん、ちょっと違うよ」
綾音に教えてもらうが難しい。
だが、教師に教えてもらうよりは断然面白いのは確か。
その分、少しはやる気が出てくる。
「ふぅ、これは……これでいいのか?」
「うん、そうだよ。凄いね」
「いや、そんなことはない」
「誠ちゃんって物覚えが早いねぇ」
こうやって少しでもできると過剰なほど誉める。
それがまた嫌みっぽくないので、素直に嬉しいと感じる。
「これなら女の子にモテモテだよ」
「どこをどうやったらそうなるんだ?」
「誠ちゃんはスポーツは万能だし、後は勉強ができたら鬼に金棒だよ?」
「…そうか?」
まぁ、自分でいうのもなんだが運動は得意だ。
苦手なスポーツはないと言ってもいい。
中学でも高校でも、水泳であれバスケであれトップだった。
だけど、それを凄いと思ったことは一度もない。
綾音に比べれば大したことないと思っていた。
所詮は運動バカなんだと・・・
「運動だけだ…」
「それでもすごいよ! 私は運動は全くダメだから羨ましい…」
俺だってお前が羨ましい。
運動なんてできなくたって問題じゃない。
勉強ができない方が問題だ。
「これでモテモテだねっ」
「…そんなのいらない」
「ど、どうして?」
「お前さえいてくれればそれでいい」
それが俺の本音。
綾音さえいてくれればそれでいい。
他の人間に嫌われようと、綾音さえ俺を嫌わないでくれるなら・・・
それだけで俺は・・・
「せ、誠ちゃん…」
「………」
「わ、私は…」
「わかっている」
わかっているさ。
お前の気持ちはわかっている。
そして不安もわかっている。
だから言わなくていい。
今だけはそれを忘れてほしい・・・
「さーて、ちょっと休憩でもするか?」
「え? うん」
「よしっ、そうと決まったら弁当だ」
そう言って俺は鞄から弁当を2つ出す。
綾音に内緒で砂奈に作っておいてもらった物。
それがこの弁当だ。
学生といったら弁当に決まっているだろう?
「砂奈に頼んでおいたんだ」
「そ、そうなの?」
「高校といったら昼寝に弁当!」
「お勉強は?」
「オマケにすぎないな」
「んふふ、誠ちゃんらしいね」
月に照らされ綾音が笑う。
その笑い声は教室に響き、綾音が帰ってきたことを教えた。
長く伸びる影はいつもひとつ。
だけど、存在はふたつ。
響く笑い声は重なり合い、時間に溶け込む。
同じ時間を共有し、同じ場所にいる。
「もぐもぐ、美味しいね」
「……俺も食うか」
先に食べている綾音につられて俺も箸に手をかける。
弁当の蓋を開け、中の物を適当に掴み口に放り込む。
「もぐもぐ……うまい」
「私の弟子だもんね♪」
「……そうだな」
「え? 誠ちゃんもそう思ってくれるの?」
俺の言葉を聞いた綾音が、嬉しそうな顔をしながら覗き込んでくる。
なんとなく恥ずかしくなった俺はプイッと窓の外に視線を向け、ぶっきらぼうに答えた。
「す、少しだけな…」
「んふふ、素直じゃないね」
「………」
「本当は私の料理も美味しいんだよね?」
そうに決まっている。
綾音の料理は砂奈の料理より好きだ。
だけど、それは言わない。
いや、言えなかった。
俺は素直じゃないから面と向かって言えなかった。
「綾音」
「なぁに?」
「一回しか言わないからな」
俺は心に決める。
勇気を振り絞って気持ちを伝える。
たった一度だけ。
綾音には聞いてほしいから・・・
「俺はお前の料理が好きだ。砂奈の料理よりずっとな…」
「……え?」
「………」
「せ、誠ちゃん……それって本当?」
「………」
綾音が照れた顔をこちらに向ける。
恥ずかしくなった俺はガツガツとご飯を口の中に無理矢理放り込んだ。
「ね、ねぇ……もう一回言って?」
「言わない」
「そ、そんなぁ〜……お願い」
「駄目だ」
あんな恥ずかしいこと言えるかっ。
一度だけって決めたんだ。
俺はそれを成し遂げた。
それだけで十分だ・・・
「もぐもぐもぐもぐ」
「ね、ねぇ〜」
「もぐもぐもぐもぐ!?……ううぅ」
や、やばいっ!
喉に詰まっちまった。
「うぅ〜〜!」
「は、はいっ、お茶だよ」
「ごくごくごくごく……ぷはぁ〜」
し、死ぬかと思ったぞ。
綾音がいなかったら俺は死んでいたかもしれない。
そう思うと綾音がいてくれてよかったな。
「さ、さんきゅ〜」
「ふぅ、よかったぁ」
ホッと胸を撫で下ろす綾音。
そんな姿を見るとなんとなく嬉しくなってくる。
俺の心配をしてくれる綾音。
俺にだけ向けてくれる想い。
「ゆっくり食べてね」
「あ、ああ…」
………
「ふぃ〜、食った食った」
いやマジで。
膨れたお腹を撫でながら言うと、我ながらオヤジだなと思う。
そんな俺を見て綾音が笑う。
やっぱ、綾音もそう思ったんだろうな・・・
「ごっとうさん」
「はい、ごちそうさま」
本当、懐かしいな。
綾音と一緒に勉強して・・・弁当を食べて・・・
あの頃は今みたいになるなんて知る由もなかった。
だから時間を無駄に過ごしていた。
今にして思えば勿体ないよな・・・
「………」
「誠ちゃん、ご飯粒が付いてるよ」
「………」
「もう………んっ」
ふと気がつくと綾音の唇が俺の頬に触れていた。
一瞬なにが起こったかわからず、綾音に尋ねる。
「な、なにをしているんだ?」
「ん……ご飯粒が付いていたから」
「……そうか」
だからって、どうして頬にキスをするんだ?
ご飯粒が付いていたのなら俺に言うか、取ってくれればいいのに・・・
「んふふ、誠ちゃんったら私の言葉が耳に入っていなかったら……ついね」
「………」
そうかそうか、そういうことか。
つまり綾音はご飯粒を取るのに対して、口で取ったと言うことだ。
ちょっと茶目っ気をきかしたってところだな。
「…って、なに恥ずかしいことするんだよっ」
「んふふ、私は別にいいよ」
「お、俺は…」
「嫌だった?」
「そ、そんなこと……ない」
そんなことはないが、正直言って恥ずかしい。
だが、綾音は照れもせず自然としてくる。
俺はそれが羨ましい。
自然に表現できる綾音が羨ましい。
「誠ちゃん憶えてる?」
「なにが?」
「中学生の頃、誠ちゃんが居残りさせられたこと」
「ああ、憶えている」
あのときも今みたいに寒い季節の頃だった。
俺のテストの点数があまりにも悪かったため、ひとり居残りさせられた。
窓の外は冬のせいか、見る見るうちに暗くなっていく。
そんな中で独り寂しく勉強させられたときのこと。
綾音が俺を心配してか、弁当を持って教室に現れた。
「今と同じような感じだったねぇ」
「…ああ」
形は違えど、俺は綾音と勉強し、弁当を食べた。
今と同じように・・・
「あのときはね、誠ちゃんは私のお弁当を美味しいって言ってくれたんだよ?」
「……記憶にない」
「んふふ、それはそうだよ」
嬉しそうに答える綾音。
俺はなんだかその笑顔が不思議に思った。
俺の残っている記憶にはあのとき食べた弁当は綾音が作ったのではないと記憶している。
確か綾音のお母さんが作ったって記憶が代わりに残っているのだが・・・
「そのときは私のお母さんって言ったけど、本当は私だったんだ」
「……なっ!?」
「そうでもしないと誠ちゃんの本当の気持ちが聞けなかったから…」
「………」
俺って奴はどこまでも綾音に辛い思いをさせているんだな。
綾音は俺の彼女なのに、俺は彼氏らしいことを何一つしてやってない。
綾音はたくさん尽くしてくれる。
俺は綾音の望むことをなにもしてやってない。
しているといえば、綾音の想いをねじ曲げていること・・・
「…すまない」
「ううん、誠ちゃんの優しさは知っているから」
そう言う綾音の表情はなんだか冴えない。
どこか悲しそうで、知っているというより諦めているといった感じに見えた。
「…あやね」
「ご、ごめんねっ……わ、私っ」
ふと見せた綾音の泣きそうな表情。
俺はそれを見てハッと気づく。
「私……どうしたんだろ…?」
「いいからっ!」
俺は綾音の体を無理矢理引っ張り、自分の胸に抱きしめる。
綾音のこんな悲しそうな表情を見てなにもできない自分は嫌だ。
俺は逃げたくないっ。
自分の気持ちから目を背けたくないっ。
俺は綾音が好きなんだ。
好きだったら抱きしめてやるのが当たり前じゃないかっ!
「もう……言わなくていいから」
「せ、誠ちゃん……ぐすっ」
綾音が小さな体を震わす。
その体はいつものように冷たくて。
やはり人間の温もりを感じなくて。
でも、俺は抱きしめる。
自分が好きな人だから。
そうすることが当たり前だから。
「すまない、綾音」
「ううんっ、ううんっ……そんなことない」
綾音の頭と共に長い髪が俺の腕の中でなびく。
俺はなんてバカなんだ。
今更気づくなんて。
本当のことに気づくなんて。
俺は逃げていた。
ずっと綾音の想いから逃げていた。
正面から受け取る勇気が無くて・・・
綾音の気持ちに応える勇気が無くて・・・
ただ、俺は逃げていた。
素直じゃないといいながら逃げていた。
だけど、もう逃げたくない。
自分の道がわかったから。
綾音にしてやれることがわかったから。
だから・・・
俺は自分から逃げたくない・・・
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