第22話『さよならじゃない』
第22話
『さよならじゃない』


雲が晴れ、月が丸見えの夜空。
公園は月明かりと外灯に照らされライトアップされている。
そんな神秘的な場所にいる2人。

「ねぇ、誠ちゃん」

「ん?」

学校から戻った俺達は綾音の提案でいつもの公園に寄ることになった。
特に断る理由もないのでそれを承諾した俺。
そしていつもの木製なのか、なんなのかわからないベンチもどきに座っている。

「抱きしめてくれたのって久しぶりだね」

「そう……だな」

確かに久しぶりだ。
俺は綾音をほとんど抱きしめてやっていなかった。
綾音はずっとそれを望んでいたはずだ。
だが、俺はそれをしてこなかった。

「本当、俺ってバカだよな…」

隣に座る綾音の肩に手を伸ばし、グッと自分の方に寄せる。
綾音は顔を赤く染めながらも俺に体を預ける。
その行動がとても嬉しくて、綾音が喜んでくれるのが楽しくて。
そう思うと俺は自然と行動していた。

「自分が逃げていたことに今頃気づくなんて…」

「でも……気づいたよね?」

「ああ、遅いけどな」

呆れるぐらい遅すぎる。
俺と綾音はいつから一緒で、いつから付き合っていた?
綾音はいつから俺に想いを寄せてくれていたんだ?

それはずっとずっと前から・・・

何年も前から綾音はずっと俺を見続けてくれた。
俺はそれに甘えていたにすぎない。
綾音がいつまでも想い続けてくれるから、答えを先延ばしにしていたにすぎない。
全ては自分の弱さ。
その弱さが全部の引き金だったのだ。

「私と誠ちゃんが初めてあったときのことを憶えている?」

「ああ」

唐突な質問に俺は何とはなしに答える。
実のところ、あんまり憶えていない。

「私ね、飼っていた猫が死んじゃって……それが悲しくって…」

「………」

「『家にばかりいたら泣いちゃうから外で遊んできなさい』ってお母さんに言われたの」

ふっと昔を思い出すように話す綾音。
俺はそんな綾音の頭を優しく撫で、続きを促す。

「私って、あんまり友達いないから独りで遊んでいたら…」

「俺が声をかけた…っと」

「うん」

知らなかった。
当然といえば、当然なのだがそんなことがあったなんて。

「あれから何年経つのかな?」

「さぁ? かなり経ったな」

「うん。誠ちゃんってば、あの頃から私に意地悪ばっかりするんだもんね」

「そんで綾音は拗ねてばっかりだ」

そこまで言って2人で笑いあう。
心の底から笑える瞬間。
全ての壁が崩れ、軽くなった心。

「んふふ、お互い様だね」

「ははっ、そうだな」

「……でもね」

綾音が俺にキュッと抱きつく。
俺は一瞬戸惑ったが、迷わず綾音の小柄な体を抱きしめる。

「優しくしてほしかった」

「………」

「砂奈ちゃんや千奈ちゃんに優しいのはわかるよ、だって妹だもんね」

「…ああ」

綾音の言いたいことがわからない。
綾音はいったいなにが言いたいんだ?

「でも、アヤネにも優しかった…」

「そうだな…」

相手は猫だからな。
動物に辛く当たるのは俺の趣味じゃない。
どちらかというと動物愛好家と自負してもいいくらいだ。

「どうしてアヤネには優しくて、綾音には優しくしてくれなかったの?」

「…え?」

「誠ちゃんが素直に表現できないのはわかっていたよ」

「………」

「でも、でもね……私はずっと優しくしてほしかった」

綾音の心の叫び。
訴えかけるように俺の腕の中で叫ぶ。
俺は綾音を抱きしめる手に力を込めた。

「誠ちゃんの優しさがほしかった…」

「…あやね」

「今みたいに温もりをずっと感じたかった……教えてほしかった…」

腕の中で震える少女。
その存在はとても儚く、今にも消えてしまいそうに思えた。
俺はそれを離さないかのように抱きしめる。
力を込めて・・・ギュッと強く・・・

「わたし……わたし……」

「すまないっ、綾音に辛い思いをさせてしまって…」

「ぐすっ……誠…ちゃん」

「俺が…俺が全部悪かったんだ」

自分の弱さが悪かったんだ。
綾音の想いを受けとめてやれなかった俺の弱さ。
今更ながら情けない。
自分がとても情けない。
大好きな綾音を泣かせてしまった自分が情けない。

「綾音……目を閉じて」

俺の腕の中にいる綾音を少し解放し、片手で顎をクッと俺に向ける。
顔を上げられた綾音の表情は驚きと不安で溢れていた。
俺はその不安を取り払うかのように、頭をそっと撫でる。

「目を……閉じて…」

「…うん」

綾音は涙が溢れる目をそっと閉じる。
少し震える綾音の唇に自分の唇をもっていく。

「…ん」

そして重ねる。
伝わってくるのは綾音の冷たい唇。
俺はそれを温めるように長い長い口付けをした。

「………」

「……んん」

綾音の全てを受け取るように・・・
俺の全てを授けるように・・・
唇を重ねる。
永遠とも思える時間をかけて。

「………」

「…ん……んん」

夜の風が吹きつける。
俺達の体を芯から冷やすように音を立てながら。
だけど、寒さは感じない。
それは綾音を感じているから。
綾音のすぐ近くにいるから。

………

「………」

「……んふぅ」

俺は綾音から唇を離し、かわりにギュッと壊れるくらい抱きしめる。
綾音の鼓動。
綾音の息づかい。
それらを身近に感じることができる。
今までとは違う感覚。
前よりずっとずっと近くの存在。

「やっと……してくれた」

「………」

「唇に……してくれた」

「ああ、それが俺のケジメだからな」

そう、俺は誓った。
綾音に自分の想いを伝えられるようになってからすると。
だから俺はした。
自分の気持ちを伝えたから。
伝えることができるようになったから。

「いつか唇にしてやるって…」

「…うんっ」

もう、俺は迷わない。
素直じゃないなんて言って逃げない。
綾音を大切にすること。
それが俺の誓い。
綾音に対しての永遠の誓い。

「これからは綾音を大切にする」

「………」

「悲しませないと約束するっ」

「……う…ん」

綾音は寂しそうに返事をすると、俺の手を軽く払って立ち上がる。
そして少し足を進め離れていった。

「お、おいっ」

それを追いかけるように席を立つ俺。
綾音の寂しそうな背中。
さっきまでとは違い、どこか悲しそうだった。

「ありがとう、誠ちゃん」

「…え?」

「私を悲しませないって言葉……嬉しかったよ」

「あ、ああ…」

綾音は背を向けたまま言葉を繋ぐ。
俺はそんな背中を見つめたまま返事をする。
いろんな事を背負っている背中。
それは俺には知ることのできないほどの重さだろう。

「本当、嬉しかったよ…」

「………」

「わたし……忘れないから…」

「え?」

お、お前・・・なにを言ってるんだ?
忘れない?
なにを忘れないと言うんだ?
別れじゃあるまいし・・・

「もう……時間がないから…」

「!?」

「お別れだから…」

う、嘘だろ?
俺はやっと自分の気持ちを伝えられるようになったんだ。
それなのに・・・
それなのにお前は消えてしまうのか?
俺は・・・俺は・・・っ!

「そ、そんな……冗談だよな?」

縋るような気持ちで尋ねる。
違うと言ってほしかった。
嘘だと言ってほしかった。
だが、綾音からの答えはそれらを全てうち破った。

「……ごめん」

「………」

嫌だ。
もう失いたくないっ。
二度も綾音を失いたくないっ。
綾音は俺の大切な人。
俺の全て。
失って気づいたもの。
だから・・・っ

「い、行くなっ!」

「誠ちゃん…」

「ずっと……ずっと俺の側にいろっ」

「………」

「お願いだから……側にいてくれ…」

「………」

「綾音……頼むから…俺から離れないでくれ……」

心の底から叫んだ言葉。
俺の想いを込めて。
嘘偽り無く零れた言葉。

そんな俺に振り向く綾音。
涙をボロボロと流し、ニッコリと微笑む。

「私はずっと誠ちゃんの側にいるから…」

「…あやね」

「ずっとずっと見ているから…」

綾音の言葉。
俺の心にずっしりと重く響く。
完全な離別を教えるかのように・・・

「だから…だからね、私のために泣かないで」

綾音に言われて気づいた。
俺の目からもとめどなく涙が零れていた。
ボタボタと地面を濡らし、小さな水たまりを作っていく。

「私は死んでいるから、その私が消えるだけ……ただそれだけのこと」

「………」

それだけのことだと?
お前の存在はそれっぽっちだとでも言いたいのか?
違うっ!
断じて違うっ!!
お前の存在はそんなに軽いものじゃない。
死んでいようと生きていようと人の重さにかわりはないっ。

「誠ちゃんは生きている。でも、私は…」

「バカヤロウっ!!」

暗闇に俺の怒鳴り声が響く。
俺は心の底から怒鳴った。
綾音の言葉に腹が立った。
納得できなかった。
自分を軽く見る綾音が許せなかった。

「せ、誠ちゃん…?」

「死んでいようが生きていようが、お前はお前だっ!」

「………」

「綾音は綾音なんだよ…」

俺にとってそれ以上でもそれ以下でもない。
綾音は綾音。
だから俺は好きになった。
綾音を誰よりも大切だと思うようになった。

「そうだよね、私は私」

「そうだ」

「誠ちゃんも誠ちゃんだよね?」

「ああ」

俺の言葉に綾音はうんと頷き、ポケットからなにかを取り出す。
それは学校で一緒に勉強したときに綾音が破り取ったノートの切れ端。
その紙をパッと広げて俺に見せる。

「私も誠ちゃんが誠ちゃんだから好きになったんだよ」

「…っ!?」

綾音に見せられた紙。
そこには・・・

『綾音を好きになった理由。それは綾音が綾音だから』

・・・と、汚い字で書かれていた。
正真正銘俺の字。
俺が授業中ノートに書いた言葉。

「これを見たとき嬉しかったよ」

「………」

「こんな私でも誠ちゃんは好きだと思ってくれるんだって」

「俺にとって綾音はどんなになっても綾音だからな」

綾音に言い聞かすように・・・
自分に言い聞かすように・・・
そう呟いた。

「んふふっ、死んでいるのにね? 生きていないのにね?」

「…あやね」

「そ、それでも私は誠ちゃんが好きなんだ……誰よりも好きなんだ…」

涙で笑顔をくしゃくしゃにしながら訴える綾音。
悲痛な言葉。
それはあまりにも悲しくて・・・
それはあまりにも寂しくて・・・
聞いている俺も心が冷えてしまうような言葉。

「俺もそうだっ! どんなになっても綾音が好きだっ」

「ありがとう、でもね……もう時間がないの」

「………」

「…ごめんね」

俺にはなにもしてやれないのか?
綾音の悲しさに満ちた心を救ってやることはできないのか?
このまま見送るしかないのか?
俺はそれでいいのか?
自分はそれで納得できるのか?

「……さよなら…だね」

「………」

「最後に……誠ちゃんの優しさに触れることができてよかったよ…」

「………」

「これで……もう思い残すことはないよ…」

嘘つけっ!
だったら・・・
だったらなぜ、そんな悲しそうな顔をするんだよっ。
本当に満足ならそんな顔はしないだろう?
お前は言葉で微笑んで、心で泣いているんだ。
それがわかっているのに俺にはなにもできない。
なにもしてやれない。

「そんな……悲しいこと言うなよ」

「…誠ちゃん」

「さよならなんて言うなよ…」

こんな俺がしてやれること。
それは綾音の帰ってくる場所を作ってやること。
この世から見放されても俺だけは見放さないこと。
綾音を信じてやれるのは俺だけ。

だから俺は泣かない。
笑顔で言ってやる。
微笑んで見送ってやる。

「また……いつでも俺の側に帰ってこい」

「誠ちゃん…」

「お前には帰ってくる場所があるんだからな」

俺だけじゃない。
砂奈や千奈もお前を待っている。
みんなお前が好きなんだ。

「…俺は待っている」

「……ぐすっ」

「何ヶ月でも……何年でも…」

「…うんっ!」

泣きながらも笑顔を向ける綾音。
それは希望に満ちた眼差し。
諦めていない者が持つ瞳。

「砂奈ちゃんも千奈ちゃんも待っててくれるかな?」

「ああ、あいつらなら待ってくれるさ」

「…うん」

「アヤネだって待っているぞ?」

「…え?」

アヤネだってお前を待っているに違いない。
なによりも綾音に懐いている子猫。
あの子猫の面倒を見れるのは綾音だけ。

「アヤネの面倒を見るのはお前の仕事だ……これは命令だっ」

「んふふ、そうだね」

「だから……帰ってこいよ」

「うんっ。私がいない間、アヤネの面倒は頼んだよ」

「ああ、任せろって」

「私だと思って大切にしてね」

ひゅぅ〜〜
耳に残る音を立てながら公園に吹きつける風。
少し強く吹く風は、綾音の長い髪を揺らす。
月光に照らされた綾音は光る髪をなびかせ、ニッコリと涙の笑顔を向ける。

その笑顔は希望に満ちて・・・
優しさに満ちて・・・
慈愛に満ちて・・・
綾音の想いを全て俺に向けてくれる。

………

「もう……時間だね…」

「………」

綾音から漏れた言葉。
その言葉に俺の心が痛む。
だが、俺はそれを無理矢理振り払う。

「誠ちゃん……元気でね」

「…待て」

「え?」

「俺のトレーナー」

俺はひとつ約束をする。
綾音に帰ってくる理由を増やすために。
約束は絶対守る奴だから。
人を裏切るようなことは嫌う奴だから。

「返しに来いよな?」

「うんっ、わかった」

「それまで、お前に似合う服を買っておいてやる」

「楽しみにしてるね」

「ああ、約束だ」

俺と綾音の約束。
大切な大切な約束。

「やく…そく…」

不意に綾音が表情を曇らした。
さっきまで明るかった顔が一変するように。
とても悲しそうな仕草。
一瞬、なにかを思い出したようなそんな素振りを見せた綾音。
俺はそう見えた。

「どうした?」

「約束……だよね?」

「ああ」

「誠ちゃん……私ね、髪がこんなに伸びたよ?」

そう言って綾音は腰まで伸びる髪をひとつ掴み、俺に見せる。
外灯に照らされ、綺麗に光る綾音の髪。
髪を手にすくう綾音はおとぎ話に出てきそうな女性にも見えた。

「そうだな、綺麗だよ」

「…うん、ありがとう」

せっかく誉めたのにあまり嬉しそうにしない綾音。
俺の気持ちがこもっていなかったか?
いや、俺は心の底から言った。

「綾音の髪は誰にも負けないくらい綺麗だ」

「誠ちゃん…。私の髪……長いよね?」

「あ、ああ。そうだな」

「とっても長いよね?」

「ああ、俺はそう思うぞ」

だが、そこまで言っても綾音の表情は曇ったまま。
俺には綾音の言葉の意味がよくわからなかった。
綾音は『自分の髪が長いか』と聞いてきた。
俺はそれに『長くて綺麗だ』と答えた。
綾音の問いに素直に答えたつもりだ。
でも綾音の顔に光は戻らない。

「あっ…、もうお別れだね」

「…あやね」

「誠ちゃん、元気でね…」

無理に笑顔を作って微笑む綾音。
その体が少しずつ透けていく。
綾音の存在がそこから消えてしまうようにゆっくりと。

「綾音っ! 必ず帰って来いよっ」

「…うんっ」

「みんな待っているからなっ」

「うんっ!」

どんどん透けていく綾音の姿。
俺はそんな綾音に叫び続ける。
最後の別れじゃない・・・
一時の別れなんだ・・・

「トレーナー……返しに来いよっ」

「うんっ、うんっ」

「約束だからなっ!」

そう・・・約束。
俺と綾音との約束。
とっても大切な約束。

『綾音ね、これからも伸ばしてみるよ』

「…え?」

俺の頭の中に響く言葉。
それは幼い頃の綾音の声。
遥か遠い記憶の片隅におかれた想い出。

『そしたら誠ちゃんのお嫁さんにしてくれる〜?』

鮮明に思い出される記憶。
綾音の言葉。
綾音の仕草。
綾音の笑顔。
あのときの光景が目の前に映し出される。
小さかった頃の出来事。
子供ながらに不思議に思ったこと。
綾音が髪を伸ばした理由。

わかった、やっと全部わかった・・・

綾音の寂しそうな顔。
約束という言葉。
それらは全てあのときにあった。

幼き日の約束。

「無茶して体を壊しちゃダメだよ?」

「……綾音っ」

「砂奈ちゃんと千奈ちゃんによろしくね…」

もうほとんど消えてしまっている綾音。
行くんじゃないっ!
俺はまだ本当のお前の願いを叶えていないっ。
約束も守っていないっ。

「待てっ、待ってくれっ!」

俺は叫びながら手を伸ばす。
綾音が帰ってくる保証はない。
俺の前にいる間に、綾音の願いは叶えてやりたかった。
せめて悔いは残してやりたくなかった。
せっかく帰ってきたのだから。
奇蹟にも帰ってこれたのだから。

「誠ちゃん……そんな顔しないで」

「違うっ! そうじゃないっ」

そうじゃないんだっ!
悲しいんじゃない、寂しいんじゃない。
悔しいんだ。
綾音の願いを叶えられなかったことが・・・

少しでもいい、時間がほしい。
綾音の願いを叶えてやる時間を・・・

「元気でね……バイバイ」

「待ってくれっ、綾音ぇーーっ!!」

力を振り絞って伸ばした手は結局、綾音を掴むことはできなかった。
虚しく宙を彷徨い、ただただ途方に暮れる。

「……くっ」

おもいっきり手を握りしめる。
悔しさが沸々と底から込み上げてくる。
どうしようもなく自分に腹が立つ。
バカさ加減に嫌気がさした。

俺はなんてバカなんだ・・・

綾音の願いを叶えてやれなかった。
せっかく俺の前に帰ってきたのに、なんにもしてやれなかった。
綾音はそれを望んでいたはずなのに・・・
俺が気づくのをずっと待っていたはずなのに・・・

どうして俺はいつもこうなんだ。
気づかなければいけないことはいつも遅い。
綾音に優しくしてやることも・・・
綾音との約束も・・・

全部・・・遅いじゃないか・・・

「くっそー!」

なんのために綾音は帰ってきたんだよ?
俺との約束を守るために帰ってきたんだろ?
なのにその俺が約束を守ってやれなくてどうするんだっ!?

心残りがあるから俺の前に現れた綾音。

その綾音に俺はどれだけしてやれた?
いったいなにをしてやれた?
そんなものは数えるほどしかない。
あんな姿になってまで俺の前に現れたのに・・・
俺はなにをやっていたんだ?

「これじゃぁ…」

あのときと同じじゃないか。
綾音が死んだときと同じじゃないかっ!
失ってから気づいたもの。
俺の手から離れたとき大切さをしった。

綾音と再会したときは同じことを繰り返さない・・・

そう、心に決めたのに。
俺は同じことを繰り返してしまった。
取り返しのつかないこと。
もう、嘆いても悲しんでもなにもかもが遅い。

「綾音、すまない…」

だけど、綾音には謝りたかった。
俺は苦しんでもいい、悲しんでもいい。
でも、綾音は笑っていてほしかった。
泣いてほしくなかった。

「そのことだけが……俺自身許せなかった…」

ポツンと寂しく伸びるひとつの影。
それは虚しくどこまでも長く長く続いていく。
夜の公園で呆然と立ちつくし、冷たい風を浴びる。
俺の冷えた心を更に冷やすように容赦なく吹きつけられる。

冬の風は冷たくて。
夜の公園は寂しくて。
ひとりはとても辛くて。
好きな人を失って。
あの頃には戻れなくて。
気持ちに応えてやることができなくて。
たくさんの想いを伝えることができなくて。
気づいたときには遅くて。
いつもいつも遅すぎて。
伸ばした手はなにも掴めなくて。
大切な人を抱きしめてやることができなくて。

約束を守ることができなくて。





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