四 否定

『否定』


「きゃぁぁぁー」

闇に包まれた世界で女の悲鳴が轟く。
月が浮かぶこともない薄暗い空。
その虚無の中を走る一つの影。
その影を追う俺。

「た、助けて〜!」

姿からしてOLらしき女。
その女が俺に哀願の眼を向ける。
なぜなら・・・女は追いつめられたから。

あまりの恐怖に腰が抜けてしまったようだ。
地を這うように逃げようとする。
無駄な努力をする姿は滑稽だ。

「……俺は狂ってなんかいない」

俺の言葉に反応したのだろうか。
手に握られている物体が外灯に照らされ、不気味な色を放つ。

「ひっ!?」

それを見た女は悲鳴を上げた。
これから自分がどうされるのか理解したのだろうか。
体をガタガタ震わせ、涙をボロボロと零す。

「い、命だけは……」

「…なぜだ? なぜ、俺を恐れるっ!!」

「!? ご、ごめんなさい……助けて…」

なぜ謝る?
なぜ恐れる?
俺はなにもしていない。

「……俺は」

「なんでもしますから……命だけは…」

「っ!?」

俺の中でなにかが弾けた。

ザシュッ! ザシュッ!

「俺は……俺は……」

ザシュッ! ザシュッ!

「狂ってなんかいないっ!」

ザシュッ! ザシュッ!

「どうしてわかってくれないんだっ!」

ザシュッ! ザシュッ!

「俺を認めてくれないんだーー!!」

ザシュッ! ザシュッ! ザシュッ! ザシュッ!
ザシュッ! ザシュッ! ザシュッ! ザシュッ!
ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!ザシュッ!

………

………

………

「はぁ……はぁ……」

“それ”は動かなくなった。
ピクリとも微動だにしない。
体の穴という穴から赤い液体を垂れ流している。
その数は尋常じゃない。
あまりにも多すぎて数えきれないくらいだ。

「は、ははは…」

俺の口から乾いた笑いが零れる。
別に面白いからではない。
可笑しいわけでもない。
なんとなく零れた笑い。
それはあまりにも虚しく寂しい。

「やはり……俺は狂っていない」

確信した。
俺は間違ってなかった。
狂っていなかった。
正気だった。
常に正気を保っていた。
それは今も同じ。
今も保っている。

「コイツが……殺されただけのこと」

暗闇と静寂が辺りを覆う。
闇が見る見るうちに“それ”もろとも世界を包み込む。
闇の世界。
動かない“それ”は景色に溶け込んだ。

「……ふん」

俺は地面に転がる塊を一瞥すると、背を向けて去った。




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