五 抑制

『抑制』


暗い夜道をひとりで歩く。
家に向かってトボトボと。
なにを思うわけでもなく、考えるだけでもない。
ただ歩く。
一つのことだけを繰り返し呟きながら。

「……俺は正常だ」

それだけを心の中で永遠と繰り返す。
言葉に出して確認する。
俺は正常だと・・・狂っていないと・・・

「氷澄が見たら……怒るだろうな」

返り血をベットリと浴びた服。
氷澄が見たら心配するに違いない。
驚くに違いない。

氷澄はいつも俺を心配してくれる。
どんなときも気にしてくれる。
俺の世話をしてくれる。

だったら・・・
だったら・・・なぜ・・・

「あっ、涼ちゃん」

俺はいつの間にか家の近くにいた。
そんな俺を氷澄が見つける。

「遅いよ! いったい何処に……きゃぁっ〜」

俺の姿が外灯に照らされると、氷澄が悲鳴を上げた。

「ど、どうしたのっ!? け、ケガしたの??」

「………」

氷澄。
お前はどうして・・・

「痛くないの?」

「……どうして」

俺は氷澄の両肩を掴む。
すると氷澄が驚いたような顔で俺を見つめる。

「ど、どうしたの?」

「……どうして……お前は…」

「え? え?」

氷澄の肩に置く手に力がこもる。
それにより氷澄の顔に苦痛が浮かぶ。

「い、痛いよ…」

「……否定するんだ」

「ほ、本当に痛いよ…」

氷澄の悲痛な言葉に俺は自分のしていることに気づく。
氷澄から両手を離し、フラフラと自分の家に入る。

「あっ……ちょ、ちょっと」

「俺を…」

「え?」

「俺を否定するなら帰ってくれ」

俺の言葉に氷澄はわからないといった顔する。
だが俺は関係なく続ける。

「認めないのなら……帰ってくれ」

「………」

俺も氷澄も黙ってしまった。
そして2人が一言も喋らなくなって数分。
氷澄が口を開いた。

「うん……よくわからないけど、今日は帰るね」

「………」

「えっと……本当にケガとかは無いんだね?」

「……ああ」

「そう……じゃぁ、帰るね」

それだけ言うと、氷澄はくるりと背を向けて歩きだす。
そんな氷澄を無視して俺は家の鍵を開ける。
そして家に入ろうとしたとき、氷澄が踵を返し俺に言った。

「なにか困ったら連絡してね! 絶対だよ?」

「……ああ」

俺がそう答えると、一つの足音が遠ざかって・・・
いや、近づいてくる。

「……涼ちゃん」

俺の背中に当てられる手。
氷澄の手は小さくて温かかった。

「私……心配だよ」

「……?」

「最近……様子が変だから…」

服がギュッと握られる。
その手は少し震えていた。

「もしかして……私のせい?」

「………」

「私が――したから?」

「………」

俺は変じゃない。
俺は普通だ。
狂っていない。
正常だ。
正常なんだ!!

「俺は……正常だ」

「え?」

「俺は………狂ってなんかいない」

「なにを言ってるの?」

俺の心の中で騒ぐ。
なにかが動き出そうとしている。
だが、俺はそれを抑える。
解放してしまっては氷澄が・・・
氷澄を・・・

「もう……帰ってくれ」

「……うん。ごめんね」

氷澄は服から手を離し、去っていった。

「……氷澄」

俺は解放しなかった。
いつも解放しているモノを抑えた。
なぜだ?
なぜ抑えたのだ?
あれは正常な行動じゃなかったのか?

だけど・・・
氷澄のことを思うと解放できなかった。




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