2月14日 いつか見た光景
2月14日
『いつか見た光景』
俺は優しく撫で続けた。
雪が落ち着くまで――ずっと。
俺のせいだから。
俺が雪を泣かせてしまったから。
「ぐすっ……頑張ったんだよ」
「ああ、雪は頑張った」
俺のために頑張ってくれたんだ。
雪は俺のために・・
「三日三晩寝ずに編んだんだよ?」
「そ、そうなのか?」
そこまでして・・・
「はじめてだったから……くすん……難しくて」
雪は手で顔を隠したまま話す。
「………」
「それでも頑張って………浩ちゃんのために…」
「……ゆき」
こんなに頑張ってくれる雪に俺は・・・
「せっかく……一週間も寝ずに頑張ったのに…」
「………」
あれ? 一週間?
さっきは三日三晩って言ってなかったか?
「2回目なのにうまく編めなくて…」
「………」
2回目?
はじめてじゃなかったのか?
「5日間……寝ずに頑張ったのに……」
「……おい」
俺は雪の顎を掴んで無理矢理こっちに向ける。
「…あ」
「『…あ』ってなんだ?」
「え……えへへ」
「笑ってごまかすな」
ったく。
全部嘘泣きだったのか・・・
「そ、そんなに見つめちゃ恥ずかしいよ」
「ばか」
雪の額をコンッと軽くこつく。
「てへっ、愛のムチだね」
「なに言ってんだよ…」
そんな馬鹿な会話をする。
雪は元気になった。
もう、自分を責めることもない。
それが俺にとって一番の幸せ。
雪が微笑んでくれるなら――他にはなにもいらない。
「あはは、それにしても完璧に失敗しちゃったの」
「…そうみたいだな」
「うーん、マフラーと違って難しい」
「…そうか」
俺には全くわからないことだ。
なんにも編めないからな・・・
「まぁ、雪の気持ちだからありがたく受け取っておくよ」
「うんっ、そう言ってくれると嬉しい」
雪はニッコリと微笑む。
「次は上手に編むからねっ」
「期待してるよ」
雪は俺の返事に満足するとひとり駆け出す。
タッタッタッタ
そして公園の入り口にたどり着く。
「…元気だな」
俺はそんな雪を見て自分もそうなりたいと思う。
元気な自分でいたいと思う。
雪に迷惑をかけない自分で・・・
「浩ちゃ〜〜んっ、はやくぅ〜〜」
雪がこちらに向かって声をかける。
「……ふぅ」
俺はひとつため息を吐き、公園に向かう。
コツッコツッコツッコツ
少し速めに杖をつきながら歩く。
雪が待っている。
その事実が俺の体を動かす。
だが、それが悪かった。
その気持ちがこれからの悲劇を導くのだった。
コツッコツッコツッコツッ
俺は急いでいるあまり、左右の確認をせずに道路をわたる。
「…こ、浩ちゃんっ!?」
突然、雪が叫ぶ。
「ん? どうした?」
俺は問い返す。
「あぶないよっ!」
「え?」
なにが危ないのだろうか?
俺がそれを聞く前に雪がこっちに走ってきた。
「お、おい…」
「浩ちゃんっ!!」
どんっ
俺は雪に突き飛ばされる。
「…くっ」
どさっ
いきなりのことで対処することもできず、俺は2〜3メートルほど飛ばされた。
「い……いてて」
俺は痛む頭をさすりながら上体を起こす。
「雪――なにを…」
それは突然だった。
いつか見た光景。
いつか出会った出来事。
キキーーーーーードガシャンッ!!
「…………」
雪が車に轢かれる。
俺が轢かれたときのように・・・
雪の体が人形のように宙を舞う。
そして・・・
――ドサッ!
地面に引き寄せられるように落下する。
「……ゆ………ゆき?」
雪はグッタリと倒れたまま動かない。
「――ゆきっ!!」
俺は松葉杖を掴み、すぐさま雪の側に駆け寄る。
コツコツコツ
雪の元へ急ぐ――無我夢中に。
「ゆき……ゆき……」
コツコツコツコツ
「ゆき……うわっ」
バタッ――カラン
あと少しだというところで転ける。
その反動で松葉杖が離れた場所に飛んでしまった。
「…くそっ!」
俺は這うようにして雪の元へ向かう。
この役たたずめっ!!
俺はこの時ほど自分を呪ったことはなかった。
雪の元へ・・・
ただ、そのことが素早くできない事が恨めしかった。
左足が無いことがこれほど悔しいと・・・
「……く……はぁ」
「……くそ」
「ゆき……う」
俺はなんとか雪の元に辿り着く。
「ふぅ………ゆき」
俺は自分の上体を起こして雪を見る。
「おい………目を開けてくれ」
俺の問いかけに雪は無言を返す。
ガチャッ・・・トコトコ
雪を轢いた車からひとりの男が出てきた。
「あ、ああ……ど、どうしよう?」
その男はいかにも気の弱そうな男でオロオロとしている。
「おいっ!」
俺はその男を睨む。
「救急車をっ!」
そして怒鳴る。
今なら助かるかもしれない。
「え? あ…ああ」
「はやくっ!!」
「わ、わかった」
男は慌てたように駆けていった。
「ふぅ……間に合ってくれよ」
俺は再び雪を見る。
雪――死ぬな。
「ゆき………いつものように笑ってくれ」
「………」
「俺に微笑んでくれよ」
俺の目から涙がこぼれる。
雪の顔にポタポタと――落ちていく。
「…くそっ」
俺は地面を殴る。
自分が腹立たしい。
雪を助けるはずの俺が雪に助けられた。
それだけじゃないっ。
俺のせいで雪は死ぬかもしれない。
そんなこと・・・
そんなことがあっていいはずがないっ!
「俺はお前を助けると言ったんだ…」
誰が・・・
誰が俺のためにこんな事をしろと言ったんだ?
俺は死んでもいい。
雪が生きてくれるなら・・・
「くっそーっ」
ガンガンッ
俺は容赦なく地面を殴る。
その手には激痛が走るが関係ない。
この悔しさを何処かにぶつけたかった。
「だ………だめ……だよ」
「!?……ゆき?」
雪がうっすらと目を開ける。
よかった、意識が戻ったんだ。
「じぶんを……せめちゃ……だめ」
その声は弱々しく、いつ消えてしまってもおかしくない。
「こ…う…ちゃんは……わるくな……い」
「……ゆき」
止めどなく流れる涙。
例え笑われたっていい――雪のために流している涙。
その涙を拒む理由はない。
「なか……ないで」
「いいんだ……今は泣いていいんだ」
「………ありが…とう」
雪が礼を述べる。
俺の言いたいことがわかっているのだろう。
「わたしのために……ないてくれて……いるんだよ……ね?」
「ああ、そうだ」
「あ…はは……うれしい」
俺は雪の手をギュッと握る。
とても小さな手。
今にも消えてしまいそうな少女の手を俺は握りしめる。
「やっと……やくにたてた…」
「……ゆき?」
「こうちゃんの……やく……に」
「ばかっ! 雪はずっと俺の役に立っている」
お前がいなかったら今頃俺は・・・
「やさしい……ね……いつも……いつも」
雪の目から涙がこぼれる。
「わたし……こう…ちゃんの……そばにいられて…」
「ゆき?」
「…やさしさにつつまれて……」
雪の手から力が抜けていく。
「しあわせ……だった…よ」
「おいっ! しっかりしろっ」
「もう………だめみたい…」
「な、なにを言ってるんだっ」
死ぬんじゃないっ!
雪――俺にはお前が・・・
「こうちゃん……どこ…?」
「ゆき?」
「どこに……いったの……?」
「お、お前…」
お前――目が・・・
「俺は雪のすぐ側にいるっ」
「よかった……きゅうに……いなくなちゃった……から」
「そんなわけないだろう?」
「う…ん……そう…だよね…」
くそっ、俺にはどうすることもできないのか?
このまま雪を見ておくしかできないのか?
「こう……ちゃん…」
「な、なんだ?」
「ひとつだけ……やくそく…して」
「いいぞ、なんでも言ってくれ」
「……じぶんを……せめないで」
「………」
「こうちゃん…は……わるくないか…………ら」
雪の手が俺からスルリと滑り落ちていく。
「ゆき?」
「………」
「おいっ! ゆきっ!!」
俺は何度も雪の名を呼ぶ。
いやだ――失いたくないっ!
雪は俺の全てだ。
それを無くしてしまったら・・・
俺は――俺は!
「ゆき………ゆき………くうぅ」
雪の頬に涙を落とし続ける。
それは湖に雨が降るように・・・
どこまでも――ながく。
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