2月21日 奇跡
2月21日
『奇跡』


雪が事故に遭ってから一週間。

あのとき雪は救急車に運ばれて一命を取り留めた。
外傷はほとんど無かったのだが、まだ意識は回復していない。
昏睡状態が続いている。

「………ゆき」

俺はベッドに横になる。

いつも病院に行っているのだが、今日はまだだ。
昏睡状態の雪を見ると日に日に辛くなってくる。

「……つっ」

俺の手が痛む。
あのとき地面を殴っていた手だ。

「…俺はバカか?」

自嘲するように呟く。
怒りに我を忘れて地面を殴った。
その結果、骨折。

「……バカらしい」

自分が情けなくなる。
これじゃぁ、雪が意識を取り戻しても心配させるだけだ。

コンコン――ガチャ
ノックと共に妹が入ってくる。

「おにいちゃん?」

「うん? どうした」

「また…、自分を責めてるの?」

真奈がそんなことを聞いてきた。

「い、いや……そんなことはない」

「うそ」

「な、なにを…」

「だって……おにいちゃん泣いてるよ?」

「え?」

いつのまにか俺の目から涙が流れていた。
それは気づかないうちにベッドを濡らす。

「雪音さん……悲しむよ」

「……!?」

雪が悲しむ。
雪は俺に『自分を責めないでほしい』と言った。
その約束を俺は破っている。

「自分を責めちゃダメだよ」

「………」

「それじゃぁ――前の雪音さんと同じだよ」

「……そうだな」

それだと同じなんだ。
自分を責め続けた雪と同じなんだ。

それだけはしてはいけない。
雪がきっと悲しむ。
雪は絶対喜ばない。

「ふふ、もう大丈夫だよっ」

「……?」

「いい知らせがあるんだ」

真奈は俺をのぞき込むようにして言う。

「雪音さんの意識が戻ったって」

「ほ、本当かっ!?」

俺はその言葉に飛び起きる。

すると・・・

ゴチンッ
のぞき込んでいる真奈におもいっきりぶつかった。

「………くぅ〜〜〜〜」

真奈が額を押さえてうずくまる。

「………いってて」

俺も相当に痛い。

「きゅ、急に起き上がらないでよ〜」

真奈は涙目になりながら言う。

「い、いや………すまん」

「う、嬉しい気持ちはわかるけど………くぅぅ〜〜」

「だ、大丈夫か?」

「うーー……うん」

真奈はポロポロと涙を流す。
あまりの痛みに止まらないのだろう・・・

「本当に大丈夫か? 頭は大丈夫か?」

「大丈夫だから……誤解されるような言い方はしないで」

「そ、そうか」

どうやら無事なようだ。
なんだかんだ言っても真奈も俺にとっては大事な存在だからな。

「それより雪音さんに会いに行かなくていいの?」

涙を流しながら真奈が言う。

「行くけど…」

お前は本当に大丈夫なのか?

「私は大丈夫だから行って来て」

「…わかった」

真奈がそう言うなら大丈夫なのだろう。
俺は少し不安に思いながらも病院に向かった。


〜 病院 〜


コツコツコツ
俺は雪の病室の前に来る。

「……ふぅ」

ひとつ息を吐き、ドアをノックする。

コンコン
乾いた音が廊下に響く。

「はい、どうぞ」

中から声が聞こえる。
小さな声――この声は・・・

ガチャッ
俺は高ぶる気持ちを抑えながらドアを開けて中に入る。

「――ゆき」

「…浩…ちゃん?」

雪は上体を起こしているが、俺の方ではなく別の方を見ている。

窓の外でも見ているのだろうか?

俺は少し不審を抱きながらも雪に近づく。

「…………」

側に来たもののなにを話していいかわからない。

「??……浩ちゃん?」

雪は問いかけてくるが、なぜか俺を見ない。

「ゆき……どうした?」

「う、うん…」

元気の無い雪。
そんな雪を見ているのは辛い。
だけど、今はその気持ちより別の気持ちの方が大きかった。

「――ゆき」

ぎゅうっ
気づいたら俺は雪を抱きしめていた。

「きゃっ……こ、浩ちゃん?」

「よかった……よかった」

「…浩ちゃん」

雪が助かってよかった。
雪が死ななくてよかった。
雪を失わなくてすんだ。
これほど嬉しいことはない。

「ゆき――くぅぅ」

「……泣いちゃだめ」

雪はそう言って俺の頭を優しく撫でてくる。
母親に慰められる子供――そんな気分。

「ゆき………ゆき……」

「私は大丈夫だから」

「…ああ」

俺は雪からそっと離れる。

「…浩ちゃん?」

そして雪の顔を見つめる。

「……!?」

俺は愕然とした。
まさか・・・そんな・・・

「……浩ちゃん?」

雪が俺の名を呼ぶ――だが。

「ゆき」

「……うん?」

雪はきょろきょろと辺りを見回す。
それは俺の姿を捜すように・・・

「………」

俺はそっと両手で雪の手を取る。

「あっ、側にいるんだね」

雪はこちらに顔を向ける。
光を宿していない眼を俺に・・・

「ゆき」

「うん?」

「俺がわかるか?」

「………」

俺がそう言うと雪は小さく首を横に振る。

「…そうか」

雪は――視力を失ってしまった。
俺を助けるために事故に遭い・・・それで・・・

「温もりだけ…」

「ん?」

「私の手から伝わってくる浩ちゃんの温もりだけ…」

そう言って雪は俺の手をギュッと握る。

「……痛っ」

俺の手に痛みが走る。
だが俺は我慢する。
雪に心配はかけたくないから・・・

「…浩ちゃん?」

「ん……なんでもない」

俺は何事も無かったように答える。
しかし雪はなにか気づいたのか、空いてる手を俺の手に重ねてくる。

「……つっ」

「こ、浩ちゃん!? この手……どうしたの?」

「………」

「あっ――あのときだね?」

雪にバレてしまった。
雪だけには知られたくなかった・・・

「…すまない」

「………ううん」

雪が首を振る。
なんだかいつもの雪らしくない。
いつもの雪なら怒るはずだ。

「私も同じだったから」

「………」

「自分を責めていたから…」

雪の眼から涙がこぼれる。
それは俺に向けられた涙。
自分と同じ境遇の俺に対する涙だった。

「…泣くな」

俺は雪の涙を指ですくう。

「ぐすっ……うんっ」

「………」

「………」

――沈黙。
俺はなにを言っていいのかわからず、ただ雪の手を握る。

「………」

「………ねぇ」

「うん?」

「私……もう、浩ちゃんの側にいられないね?」

雪が突然そんなことを言いだす。

「な、なにを…」

「私では浩ちゃんを助けることができないよ」

「……ゆき」

「えへっ、本当にお荷物になっちゃったね」

そう言って雪は微笑む。
涙をボロボロと流しながら笑顔を向ける。
その笑顔はとても辛そうで・・・
その仕草はとても寂しそうで・・・
その言葉はとても悲しそうで・・・

雪は言った――自分は側にいられないと。

「ふぅ、俺はどうやら信用されていないようだな」

「…浩ちゃん?」

「まったく」

俺は雪を自分の胸に抱き寄せる。

とすん
雪の小さな体が俺の腕の中にすっぽり収まる。

「雪は俺が守るって言っただろ?」

「……わたし」

「なにも心配することはない」

「で、でも……わたし」

雪になにも言わせないように強く抱きしめる。

「……あっ」

「俺の側にいてくれ」

「……いいの?」

「ああ」

俺は強く答える。
俺は決めた――なにがあっても雪を守ると。

「私――なんにも見えないんだよ?」

「俺が雪の眼の代わりになってやる」

「大好きな浩ちゃんも見えないんだよ?」

「だったら雪がわかるように俺が抱きしめてやる」

「浩ちゃんを助けることもできないんだよ?」

「自分の身ぐらいは自分で守るっ! そして雪を守ってやる」

「ひとりじゃ外に行けないんだよ?」

「俺が何処へでもついて行ってやる」

「……うぅ〜」

雪が唸る。
もう言うことが無くなったのだろう。

「雪が拒む理由はない」

「わ、私――寂しがり屋だよ?」

「俺がずっと側にいてやる」

「えっと……ワガママだよ?」

「雪のワガママならなんでも叶えてやる」

「う〜ん……か、可愛くないよ?」

「俺には誰よりも可愛く見える」

「えーと……えーと……胸、小さいよ?」

「俺は好きだぞ」

「あ〜〜ん、どうしよう?」

雪が困ったような声を上げる。
完全に言うことが尽きたようだ。

「雪は俺が嫌いか?」

「ううん………大好きだよ」

「じゃぁ、側にいたいか?」

「うん、叶うならずっと側にいたい」

「だったら…」

俺の言葉に雪が割り込む。

「ダメっ、浩ちゃんは私を選んじゃダメなの」

「ゆき?」

「私みたいなお荷物の女の子を選んじゃダメ」

「…雪はお荷物なんかじゃない」

「うそ、うそだよ」

雪は俺の腕の中でぶんぶんと首を振る。
それは俺の言葉を受け入れないように・・・

「忘れたのか?」

「え?」

「俺と雪はずっと一緒だ」

「………」

「そう――誓っただろ?」

雪の降る中で俺は言った。
雪に叫んだ。
心の底から――想いを込めて。

「だから…」

「ぐす………浩ちゃんっ」

雪が俺の服をギュッと掴む。

「私……恐かった」

「……ゆき」

俺は雪の頭を優しく撫でる。

「浩ちゃんがいなくなったらどうしよう? 私、捨てられちゃったらどうしようって」

「……よしよし」

「ずっと…ずっと恐かったの」

「もう――いいから」

俺は雪の顎を上げ、そっとキスをする。

「…ん」

「………」

「んん………ぐす」

雪の目から涙が流れている。
俺はそれを舌で舐め取る。

「ん……んふ……くすぐったい」

雪が目を細めて喜ぶ。
気をよくした俺は調子に乗って雪の耳たぶを甘噛みする。

「く…くうん………浩……ちゃん」

「ずっと側にいてくれ」

俺は雪の耳の側で囁く。

「もし、いてくれないのなら…」

「……ないのなら?」

「こうだ」

俺は再び雪の耳たぶを噛む。

「きゃふ……あう…」

そして今度はかぷかぷと何度も優しく噛む。

「…だめ……あふ……」

「雪」

「んん…………うん?」

雪がとろんと虚ろな目をして答える。

「気持ちよかったか?」

「……いじわる」

雪は恥ずかしそうに縮こまる。
そんな雪を俺は強く強く抱きしめた。

「ずっと側にいてくれるか?」

「うん、浩ちゃんが望むなら」

雪が光を宿さない眼で俺を見つめる。

俺は雪と生きる。
これからも永遠に・・・
それが俺が唯一できる俺なりのけじめ。

雪が望むこと――雪が喜ぶこと。

俺はできる限り叶えてやりたい。
雪が望むなら側にいてやりたい。
雪が喜ぶなら抱きしめてやりたい。

「離しちゃダメだよ」

そう言う雪の眼に一瞬だが光が宿る。

「雪、お前…」

「えへへっ、奇跡が起こったのかな?」

「俺が……見えるのか?」

「ううん」

俺の見間違いか?
今、雪の瞳が俺を映したように見えた。

「だけど……一瞬見えたよ」

「……本当か?」

「うん。浩ちゃんのとても悲しそうな顔が」

「………」

「悲しい顔しないで…」

雪はペタペタと俺に手を当ててくる。

「浩ちゃんの顔……どこ?」

「……ここだよ」

俺は雪の手を取って自分の頬に当てる。

「あは、浩ちゃんのほっぺただ」

「……ゆき」

そんな雪の姿を見ていると俺の目から涙がこぼれる。
そして雪の手に流れていく。

「あっ、泣かないで」

「くっ………ゆき」

「あ、ああ〜……えっと…どうしたらいいのかな?」

「……うぅぅ」

「な、泣かないで。ほ、ほら? 私は泣いてないよ?」

「ぅぅ………ゆ…き」

俺の涙は止まらない。
雪を困らせたくないのに・・・
なぜだか止まらない。

「あーん、お願いだから泣かないで」

「……う……うう」

「ほらほら、むに〜〜」

雪が俺の頬を左右にひっぱる。
俺を元気づけるために・・・

「……いらい」

「むに〜〜〜〜〜」

「い、いらいっ」

「むに〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

「いらららららら」

雪は容赦なくひっぱる。
マジで痛いぞ。

俺は雪の手に自分の手を重ねる。

「…あ」

「ちょっと痛かったぞ」

「ごめんね。他に方法が思いつかなかったから」

なんとも雪らしい方法だ。
そんな雪の姿を見ていると自然と笑みがこぼれる。

「ふふっ、笑ってくれたね」

「……雪のおかげだ」

「少しは役に立てたかな?」

「ああ、十分すぎるほど」

俺はお前がいるだけで十分だ。
それだけでいいんだ。

青年と少女。

悲劇は再び訪れる。
それは音を立てずにゆっくりと・・・

そして悲劇は訪れた。
2人の元に確実に・・・

それは不幸?
それは2人を引き離す?

それでも2人は離れない。
不幸をバネによりいっそう結びつく。

悲劇が呼ぶものは不幸だけなのか・・・
2人には不幸だけが訪れたのか・・・
それはわからない。

それは2人だけにわかること・・・





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