プロローグ『過去と現在』
プロローグ
『過去と現在』
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桜が舞い、新しい生活が始まる。
学生は新学期を、社会人は今までとは変わらない――なかには新しい職場の人も。
彼らは新しい学校生活を送ることとなる。
高原雅人、なにかに秀でているわけではなく、取り柄といえば誰にでも優しいことである短髪の少年。
片瀬美夏、家事全般が得意の長い黒髪が特徴の少女。
日比谷恭二、軽いノリで周囲を和ます茶髪で今時の少年。
3人は幼なじみで、小学校、中学校を共に過ごし、ついに同じ高校に進学することにまでになった。
周囲が認めるほどの仲良しぶりで、どこに行くにも3人一緒というのが暗黙のルールである。
そんな3人だが、気持ちの方は少し複雑で、美夏は雅人に想いを寄せ、恭二は密かに美夏を想っている。雅人は自分の気持ちに気づかず、何事もないように日々が過ぎていった。
――入学式。
その日の帰り、珍しく3人ではなく、雅人と美夏の2人で帰ることになった。
いつも3人である事になれているせいか、2人だと時折、無言の時間が流れることもしばしあった。
美夏はそわそわしながら雅人の横顔を見る。その視線に雅人が気づき、目が合うと美夏は恥ずかしそうに顔を反らす。それを不思議そうに思う雅人。
鈍感な雅人に美夏は思い切って口を開いた。
「雅人」
「なに?」
「えっと、少し目をつむってくれる?」
美夏の言葉に雅人は素直に目を閉じた。
美夏はゆっくりと自分の唇を近づける。その心臓は張り裂けそうなほど高鳴っていることに気づく。
高ぶる気持ちを抑えながら、静かに唇が触れた。
「美夏?」
次の瞬間、驚いた顔で雅人が尋ねた。
「あなたのことが好き、雅人は私のこと好き?」
「お、俺は――」
ひとつの恋が始まる瞬間だった。
2人の光景を偶然見た恭二だったが、小さく微笑むと静かに姿を消した。
――その夜。
雅人の耳に入ってきたのは絶望の知らせだった。
美夏が事故にあった。
雅人は急いで美夏が運ばれた病院へと向かう。だが、時は遅く、そこには物言わぬ恋人が静かに眠っていた。
恭二はなにを言っていいかわからず、雅人の肩を叩くだけしかできなかった。
泣き崩れる美夏の両親を後目に、雅人は美夏に近づくと、かけられた布をめくり、恋人に別れのキスをした。
2度目のキスは冷たくて、その感触はとても寂しくて。
雅人は溢れる涙を止めることができなかった――。
それから4年…。
月日は流れ、雅人と恭二は同じ大学に通い、1年が過ぎた。
雅人は過去が原因か、人の出会いを避けるように日々を過ごしていた。
そんな雅人を見守りながら、恭二はいつも明るく振る舞っている。
――春。
今年も新しい季節がくる。
色とりどりの新入生、雅人が通う大学も例外ではない。
そこでひとつの出会いが訪れる。
「いたっ!」
ひとりの少女がなにかに躓いたのか、鞄の荷物をばらまきながら転んだ。
その場に居合わせた雅人は無言で少女に近寄ると、手を取って立たせ、荷物を拾いはじめた。
「す、すみません!」
「気にするな」
雅人は全てのものを拾い集めると、鞄を少女に差し出した。それを恥ずかしそうに受け取る少女。
2人の目が合うと、少女は小さく笑みをこぼした。
セミロングの可愛い顔立ちの少女である。その笑顔に雅人は複雑な気持ちで目をそらす。
「私、目が悪くって。出っ張りに気づかなくて…」
「そうか」
素っ気なく返事をすると雅人は立ち去ろうとした。その背中に少女が声をかける。
「あ、あのっ!」
「……?」
「わ、私っ、綾瀬 唯子って言います。こ、今度お礼を――」
「そんなことしなくていい」
それだけ言って雅人は去った。
少女は高鳴る鼓動に気づくと、その胸を押さえながら寂しそうな表情をした。
――これが2人の出会いだった。
唯子は積極的にアプローチを繰り出すが、雅人は気にすることなくそれをかわす。
出過ぎず、そして引き過ぎずの彼女の行動に雅人は少しずつ気になりはじめていた。
「高原さん、お弁当作ってきたのですが食べますか?」
「服のボタンがずれてますよ」
家庭的な女性に弱い雅人は確実に惹かれていった。
そんなおり、ひとつの出来事が起こった。
昼休み、校舎から離れた木陰に雅人は静かに眠っていた。
その姿を見つけた唯子は片手に手作り弁当を持って駆け寄っていく。
足音に気づいた雅人は目を開けると、なにかに躓く唯子の姿が目に入った。とっさのことに助けようと立ち上がる雅人だったが、転ける唯子の方が早く、中途半端に立ち上がった雅人を押し倒すような形で倒れ込んでしまった。
「いたた…」
「ご、ごめんなさい」
「怪我はないか?」
「はい。高原さんのおかげです」
ふたりは無言で見つめ合った。
「高原さん…」
唯子がゆっくり目を閉じる。雅人は華奢な彼女の体を抱きしめると、そっとキスをした。
触れるだけのキス。
そして離れるふたりの唇だが、雅人は抱きしめる手を解こうとはしなかった。
「高原さん」
「…ん?」
「私と付き合ってくれますか?」
「………」
唯子の言葉に雅人はすぐに答えることはできなかった。
ずっと心を蝕む出来事。
過去を払拭するのは簡単ではない。あの出来事はどこまでも雅人の足枷となる。
美夏に対して想いが残っている以上、唯子に対しては複雑だった。
「高原さん?」
「俺には…、忘れられない人がいる…」
そう呟く雅人の言葉に、唯子は強く胸が締め付けられた。
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