第1話『誤解』
第1話
『誤解』
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夜も10時を指す頃。
いつものように雅人は大学の講義を終え、アルバイトも終えるとアパートへ足を向ける。
途中でコンビニによって弁当を買いに立ち寄り、暗い夜道をひとりで歩く。
夜空を見上げながら雅人はため息をついた。
美夏のこと、唯子のこと、考えることはたくさんあった。だが、どれも気持ちの整理がつかず、なにをしていいかわからないことだらけだった。そのことで唯子を傷つけたと認識していながらも、そのフォローをどうしていいか、今の雅人ではその答えを探り出すことは不可能だった。
――アパートの自分の部屋の前につくと、明かりが漏れていることに気づく。
「……?」
雅人は不思議に思いながらもノブに手をかけると、それはするりと開いた。
「おかえりなさぁーい」
出迎えたのは妹の茜だった。
今年の春に高校生になったばかりの、ロングヘアーが似合う少女である。
近くに住んでいるので、こうして独り暮らしの兄の面倒をたまに見に来るのが茜の仕事である。
「ただいま。遅くなって悪いな」
「バイトで遅くなったんでしょ?なら、仕方ないじゃない」
「……まぁな」
よくできた妹である。雅人はほとほと茜には頭が上がらないのである。
そして、今の雅人が心を開く、数少ない人物のひとりであることは言うまでもない。
「ああー!また、コンビニのお弁当なんか買ってっ!体に悪いよっ」
「お前が来るとは思っていなかったからな」
「それはわかるけどさぁ、私がいないとダメだね。お兄ちゃんは」
言葉のわりには嬉しそうに言いながら食事の用意をする茜の姿を見て、雅人は少し心が癒された。
人の温もり、信じられる人、そのありがたさを静かにかみしめる。
「はい、どうぞめしあがれ」
茜の用意した食事を雅人はあっという間に平らげた。
その光景を唖然とした顔で茜は見つめていた。
「ごちそうさま」
「おそまつさまでした。――で、おいしかったかな?」
「ああ、前より上達したな」
「わかる?これでも毎日、練習してるんだよ」
弾けんばかりの笑顔で答える茜。
「そうか。誰か好きな男でもできたか?」
雅人の質問に茜は頬を赤く染めながら微笑んだ。
「そんなんじゃないよ。私は、お兄ちゃんのために練習したんだから」
「ばかっ、なに恥ずかしいことを言ってるんだ」
思いがけない言葉に雅人はそっぽを向いた。
その仕草に茜は声を上げて笑う。
「あはは!照れちゃって、そんなに嬉しかった?」
「………」
「私は嬉しかったよ。好きな人に美味しいって言ってもらってね」
小悪魔のような笑顔に雅人は返す言葉がなかった。
妹の茜は端から見てもブラコンであることは確かである。本人はそれを自覚しながらも気にすることなく、兄にベッタリしているうえ、雅人も大事な妹なので可愛がりすぎるところがあり、どっちもどっちという状態である。
「そろそろ送っていくよ」
「うん、ありがと」
――夜も11時を回り、なにひとつ騒音が無くなっていた。
「静かだね」
「そうだな」
心細いのか、茜が雅人に腕を絡める。顔色を伺うように絡めてくる腕を雅人はグッと自分の方に寄せた。
「優しいね」
「そんなんじゃない」
「私だからかな?」
「たぶんな」
「えへへっ」
それっきり、2人は無言で家まで向かった。
「送ってくれて、ありがとね」
家まで送りとどけると、茜は嬉しそうに礼を言った。
「それはこっちのセリフだ。お前にはいつも迷惑をかける」
「お兄ちゃんのためだもの。気にしてないよ」
雅人は返事の代わりに茜の頭を優しく撫でた。その気持ちよさに目を細める茜。
「じゃあな。母さんと父さんによろしく言っておいてくれ」
「わかった。でも、たまには顔を出してよね。家の中にはどっちもいるんだから」
「ああ、そうだな」
そう言って背を向ける雅人に茜が声をかける。
「…ん?」
呼ばれて振り向く雅人の頬に柔らかい感触。それは茜の唇の感触だった。
「元気だしてね」
茜は恥ずかしそうにしながら家の中に入っていった。
残された雅人は胸に暖かいものを感じながらアパートに足を向けた。
翌日、雅人はいつものように昼食を食べた後、校舎の離れにある木陰で少し寝転けていた。
そして、いつものように雅人に近づいてくる足音に目を開ける。
「高原さん…」
雅人の目に飛び込んだ人物は、明らかに昨日とは別人と思える人だった。
泣いた跡なのか、目は真っ赤に腫れ上がり、その手は小さく震えていた。
「…どうした?」
雅人の問いかけには唯子は想像もできなほど大きな声を上げた。
「どうして、最初から言ってくれないんですかっ!!」
「…なにがだ?」
「初めから言ってくれれば、私だって諦めたのに…っ」
唯子の目から涙が零れる。
「あのとき、キスしてくれたのは遊びだったんですかっ!初めてだったのに…、嬉しくて舞い上がって…。私ひとりがバカみたいじゃないですかっ!」
「…なにを言って?」
「昨日の夜、見ました。ロングヘアーの可愛らしい彼女と一緒にいるところ…」
「あ、あれは…」
雅人の言葉に聞く耳を持たず、唯子は一方的に言葉を口にする。
「忘れられない人がいるって言ってましたけど、ちゃんと付き合っているじゃないですかっ!」
「………」
「私はなんだったんですか!?あなたにとって、ただの遊び相手だったのですかっ!」
「それは違うっ」
「言い訳なんて聞きたくないですっ!」
最後にそう怒鳴りつけると、唯子は大粒の涙を残して走り去ってしまった。
その後ろ姿を、ただただ呆然と見つめることしか、今の雅人にはできなかった。
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