第5話『衝突』
第5話
『衝突』



よく晴れた日曜日。
雅人は妹の茜に無理矢理外に駆り出された。
「たまには外に出ないと、体に悪いよっ!」
そう言って自分の買い物に付き合わせる妹に、雅人は苦笑した。
「なにかほしいものでもあるのか?」
「可愛い服がほしいの。とびっきりのっ」
はしゃぎながら雅人の腕に自分の腕を絡める茜。ふたりを知らない人が見たら、どこからどうみても恋人同士にしか見えない。
「そうだな、日頃のお礼を込めて、今日は俺が奢ってやる」
「えっ?いいの?」
「ああ。服でもなんでも買ってやるぞ」
「無理しなくてもいいよ?アルバイトだって、そんなに時給は高くないんでしょ?」
変なところでしっかりしている茜の言葉に、雅人は笑みをこぼした。
「――それじゃぁ、試着してくるね」
近所の商店街にある洋服店に足を運ぶと、しばらく店内を見回した後、茜は淡い青色のワンピースを手に取り、試着室に駆け込んでいった。
その勢いの良さは、雅人の返事の機会すら失わせるほどだった。
「しばらく待っているか…」
茜を待つ時間、何気なし店内を見渡すと、意外な人物を見つけた。
「あら?高原くんじゃない」
「天宮か。こんなところで奇遇だな」
「それはこっちのセリフよ。こんなところでなにして……ははぁ、ひょっとして彼女と一緒とか?」
「なに言ってるんだよ。天宮こそ、恭二と一緒なのか?」
雅人の問いに、天宮は笑いながら手を振った。
「そんなに一緒にいないわよ。今日は後輩と買い物にちょっとね」
「そうか」
「それより、高原くんの方はどうなのよ?」
ふたりがそんなやり取りをしていると、試着室から茜が出てきた。
茜の方はふたりに気づいたが、当の雅人達は気づいていない。茜は膨れっ面で側に行くと、力強く雅人の腕にくっついた。
「お、おい…。もういいのか?」
「私のことより、この人、誰?」
茜は天宮を睨むように雅人に聞くが、
「あらあら、すっごく可愛い彼女じゃない!高原くんったら、いつの間にこんな可愛い子を…」
彼女の方はどこ吹く風。茜の視線になにも気づかず、目の前の光景に率直な感想を述べた。
「い、いえ…。そ、そんなに可愛くないです…」
「そんなことないって!」
不機嫌だった茜も、天宮のペースにはまり、いつの間にか誉め殺しによって顔を赤く染めていた。
「と、ところで、この人は誰なの?」
「ああ、それは…」
雅人が答えようとすると、その前に天宮が答えた。
「私は高原くんと同じ大学に通っている、天宮って言うの。よろしくね!」
「こ、こちらこそ…」
「大丈夫よ、あなたの彼氏は盗らないからっ!なんてったって、私は彼氏持ちだもの」
エッヘンと胸を張る天宮に茜は呆然とした。
「恭二の彼女だ」
「へぇー!恭二さんの彼女なんだ」
「あら?恭二を知っているの?」
「ええ、昔から知ってますよ?」
さも当然とばかりに茜は答える。
「ほら、そんなこと言う前にお前も自己紹介をしろ」
「はぁーい」
素直に返事をすると茜は雅人の腕から離れ、天宮の前に立った。
「初めまして。高原茜と言います」
「いえいえ、こちらこそ。こんな可愛いお嫁さんをもらっているなんて隅に置けないわねぇ」
「………」
「冗談よ。この子が茜ちゃんかぁ〜!こんな可愛い子なんて知らなかったわ」
天宮は感激の声を上げると、ポカンとしてる茜を強く抱きしめた。
「きゃわっ」
「うぅーん!可愛いわ。私にくれない?」
「ダメだ」
「どうしても?」
「どうしてもだっ」
そんなやり取りをしていると、天宮の後輩が近づいてきた。
「天宮さん、ここにいたん…ですか…?」
「あら、唯子ちゃん」
天宮が一緒に来たという後輩は、唯子だった。
目の前に雅人の姿を見つけると喜んだ唯子だったが、茜の視線に気づくと凍り付いた。
「茜ちゃん…」
「………」
茜は天宮から離れると、雅人の腕に強く抱きついた。
「ど、どうしちゃったのよ?ふたりとも…?」
いきなり場の空気が悪くなったことに気づくと、天宮はふたりに目を向けると尋ねた。
だが、何も答えは返ってくることはなかった。
茜は敵意を込めた瞳で唯子を睨み、その唯子は視線を避けるように目をそらしている。
「茜、どうしたんだ?」
「帰ろう、お兄ちゃん」
返事を待たず、茜は強引に雅人の腕を引っ張って行く。
「わかったから引っ張るな」
「………」
雅人はふたりに軽く手を挙げると、茜と共に店を出ていった。

その日の夜。
ふたりは雅人の部屋で夕飯を食べ、食後の休憩をとっていた。
「茜」
「…なに?」
ずっと雅人の腕にしがみついている茜に声をかけた。
「綾瀬となにかあったのか?」
「…なにもないよ」
「とてもそうは見えなかったが…?」
「なんでもないってばっ!」
静かな部屋に茜の怒鳴り声が響く。自分でその声に気づくと、茜は小さく俯き、
「ごめんなさい」
消えそうな声で謝った。
雅人はなにも言わず、茜の髪を優しく撫でる。
「綾瀬さんはお兄ちゃんのことが好き。女の私にはわかるの、少し話しただけでわかる」
「………」
「お兄ちゃんは綾瀬さんのこと好きなの?どうなの?」
「どうだろうか…」
雅人はふと天井を仰いだ。
あの日以来、そんなことを考えた事なんて一度もなかったのかもしれない。
「私はお兄ちゃんのことが大好きなのっ!あの人になんか負けないくらい好きなのっ」
「ありがとう。茜は優しいな」
「当然だよ。私はお兄ちゃんの妹だもの、誰よりもお兄ちゃんのことを知っていて、誰よりも近くにいるもんっ」
そう捲し立てると、茜は雅人に飛びつきながらキスをした。
雅人は茜を受け止めると、静かに手を背中に回した。
「んぅ…」
「………」
「……はぁ」
ふたりの唇が離れると、茜は幸せそうな笑顔で雅人の胸に倒れ込んだ。
「最近の私、変だよね」
「唐突にどうした?」
「なんか、お兄ちゃんのことになると怒ってばっかりだもの」
茜は不安げに言うと、雅人の服をぎゅっと掴んだ。少女の不安を消し去るように、雅人は優しく頭を撫でた。
「それだけ俺の事が好きなんだろう?」
「…うん。そうなんだけどね」
「だったら、それでいいじゃないか」
雅人の言葉を最後に、しばし沈黙流れた。
――時計の針が夜の11時を指したとき、雅人が口を開いた。
「夜も遅いし、送るよ」
「………」
「茜?」
茜は無言で首を横に振った。
「帰らないのか?母さんと父さんが心配するぞ?」
「今日は泊まっていく」
「なにを言ってるんだ?」
「泊まっていくの」
帰ることをかたくなに拒む茜を、雅人は強く引き剥がした。
「ダメだ!お前は帰るんだっ」
「そ、そんなに私がいたら迷惑なのっ!?綾瀬さんに顔向けができないからなんだっ!そうなんでしょっ!」
「そんなわけないだろうっ?」
「だったら、どうして泊めてくれないのっ」
茜の目から涙が溢れる。自分でもよくわからない感情に流されながら茜は叫んだ。
「少しでもお兄ちゃんの側にいたいっ!お兄ちゃんを癒してあげるのっ!」
「茜、なにを…?」
「辛かった。傷ついた心を抱えているお兄ちゃんの姿を、ずっと見ているのが辛かった。私が大きくなったら、癒してあげようと思って、いろいろ頑張った。お母さんから料理を学んだり、裁縫を勉強したり、お兄ちゃんの役に立とうって頑張ってきたの。そして、やっとこのときが来た。お兄ちゃんは独り暮らしをし、私は高校生になったから外出を許してもらえるようになったの。ながかった、私にとって、今までの時間はとってもながかったの!」
全ての気持ちを吐き出した茜は、溢れる涙を静かに拭った。
「あかね…」
「ひっく……ぐす…」
「ごめんな。お前の気持ち、知らなかった…」
「…ぐす」
泣き崩れる茜になにを言っても意味がないとわかった雅人は、そっと茜を抱きしめると唇を重ねた。
「…んむぅ」
「………」
「ん……」
いきなりのことで驚いた茜だったが、その瞳はすぐに閉じられた。
――が、雅人はすぐに唇を離した。
「……?」
「茜、舌を絡めて…」
「…はい」
再び唇が重なり合う。
静かな部屋にふたりの絡め合う舌の音が響く。茜はその快感に体を震わせると、雅人の服を引きちぎらんばかりに握りしめた。
「……ふぅ」
しばらくして唇が離れると、茜は力が抜けたようにぐったりと倒れそうになったが、その体を雅人がしっかりと支えた。
「ごめんね。力が抜けちゃった…」
「可愛いヤツだな」
「もうっ、照れるようなこと言わないで。それにしても、お兄ちゃんってキス上手だね?」
「そうか?自分ではよくわからないが…」
茜の言葉に雅人は眉間にしわを寄せた。
「そんなことはどっちでもいっか。今はこの幸せをかみしめていたい…」
茜はそっと雅人の胸に顔を寄せると、目を閉じた。
「茜」
「なぁ〜に?」
「今日は帰るんだ」
「……うん」
雅人の胸で茜は寂しそうに頷いた。その頭を優しく撫でる雅人。
「お兄ちゃんに嫌われたくないから、今日は帰るね」
離れようとする茜を静かに引き戻す。
「お兄ちゃん?」
「誰も今すぐとは言ってないだろう?」
「…ありがと」
暖かい空気がもうしばらく流れそうな夜だった。




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