第6話『騎士』
第6話
『騎士』
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その日、雅人は大学が終わると、バイトに行く前にアパートに戻ることにした。
いつもはバイト先へ直行するのだが、今日だけは一度寄らなければ――という思いに駆られた。
「やだ!触らないでっ!」
道の途中、雅人の耳に聞き覚えのある声が聞こえた。
「茜か?」
雅人は直感で感じると、声のする方に走り出した。
――そろそろ夜になろうかという空。
その空の下の公園で、茜が見知らぬ男に手を掴まれていた。
雅人は茜の姿を見つけると、すかさず駆けつける。
「なにをしているんだっ!」
「あっ、お兄ちゃんっ」
今にも泣き出しそうな茜の顔が、パッと明るくなった。
「なんだてめぇ!?」
「俺の妹に何をする気だっ!」
「けっ!なにをしようが俺の勝手だろうがっ」
不良のような男が雅人に殴りかかる。その瞬間、茜を掴む手が緩むと、茜は逃げるように離れた。
――だが、ケンカ慣れしてない雅人は男の拳をまともにくらった。
「…ぐっ」
「お兄ちゃんっ!」
茜が叫びながら雅人の側に駆け寄る。顔を殴られ、鼻血をこぼしながらも雅人は目の前の男を睨んだ。
「なんだその目は!?死にたいのかっ」
「うるさいっ!妹に手を出すなっ!!」
「バカか!?なに格好つけてるんだよっ」
男の足が雅人の腹部をとらえる。
「……!!」
雅人は声にならない叫びをあげ、お腹を抱えながら倒れ込んだ。
「これ以上、お兄ちゃんを傷つけないでっ!」
「だったら、お前の体で許してやるか」
男の手が再び茜に伸びる。
「…まて」
茜が捕まる前に雅人の手が男を掴んだ。
「本気でぶち殺すぞ!」
「や、やれるものならやってみろ…」
「後悔するんじゃねーぞっ」
男がポケットからナイフを取り出すのを見た茜は悲鳴を上げた。
「きゃぁーー!!」
「――ぐっ」
鋭いナイフが雅人の腹部に突き刺さる。
「…が……ぁ…」
「へへっ、声がでねぇーだろ?そらっ!」
容赦なく銀の刃が雅人を襲う。
茜はただ、悲鳴を上げながら許しを請うだけだった。
「やめてっ!お兄ちゃんを許してっ!お願いだから殺さないでっ!!」
「あ、あか…ね…」
男の手が止まると、雅人の体が静かに崩れる。その光景に男は吐き捨てると、苦しむ雅人にケリを入れ、愚痴りながら去っていった。
茜は涙で顔を濡らすと、震える手で雅人の体に手を伸ばした。
「お、お兄ちゃん…?」
「………」
雅人はなにも答えなかった。お腹からは沢山の血が流れ、息もほとんどしていない。
「死んじゃやだよっ!私を残して死なないでよっ!お兄ちゃんっ!!」
「………」
「ねぇっ!?なんとか言ってよっ!お願いだから、返事をしてよっ」
何度拭っても涙が止まらない。
雅人を失ってしまうかもしれない――その恐怖から茜の思考は止まってしまい、ただ泣きじゃくるだけだった。
――ここは?
雅人が目を覚ますと、そこは見知らぬところだった。
目の前に広がるのは真っ白な天井。自然と鼻に入ってくる独特な匂い。
「病室…か」
上体を起こすと、腹部に痛みが走り、両腕で抱えた。
「いたた…。なんだこの痛みは…?」
少し痛みが和らぎ、うっすら目を開けると、ベッドの傍らには静かに眠る茜の姿があった。
泣き腫らした目で眠る茜を見て雅人は全て思いだした。
「死ななかったのか。運がいい」
そう思えば痛みも生きている証拠である。雅人は自分で納得した。
雅人は近くのカーテンを開けると、清々しい日差しが差し込んでくる。窓の下にあるテーブルの上には時計が置いてあり、時間は10時を指していた。
「10時か。それにしても長く眠っていた気がする。今日は何日だ?」
辺りを見渡すがカレンダーがない。だが、あっても今日の日付がわかることもないことに雅人は気づいた。
「う…うぅん」
窓からの日差しを浴び、茜が目を開けた。
「どうやら心配をかけたようだな」
「………」
「悪運が強いらしいな、俺は」
雅人の言葉が耳に入ってないのか、茜はポカンとして目の前の光景を眺めていた。
そして唐突に大粒の涙を零す。
「あ、茜?」
「ぐっす……ひっく…」
「泣くなよ。俺は無事だったんだから…」
「ぐす……ぅぅ…」
――しばらく茜は泣き続けた。
雅人はなにも言わず、茜が落ち着くまで頭を優しく撫でながら待った。
「…よかった。お兄ちゃんが助かって」
「心配かけて悪い」
「お父さんもお母さんもすっごく心配したんだからねっ!もう、こんな無茶はしないでよぉ…」
茜の涙を指で拭う雅人。
そして顔を寄せると、チュッとキスをした。
「なに言ってるんだよ。お前を守るためなら、どんなことでも怖くない」
雅人の言葉に茜の頬が赤く染まる。感極まり、茜が抱きつくと雅人は情けない悲鳴を上げた。
「いでで!あ、茜…っ」
「ご、ごめんなさいっ!」
茜は急いで離れると、しゅんと俯いてしまった。
「だ、大丈夫だ。気にしてないから」
「…ごめんなさい」
「笑っていろ。お前は笑顔が一番可愛いから」
「うん。えへへっ!」
期待に応えるべく満面の笑みを浮かべる茜の目尻に、一粒の涙が光った。
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