第8話『代償』
第8話
『代償』



初めはその変化に誰も気づかなかった。
――だが、それは少しずつ姿を現し、本人にとどまらず周りの人間にも気づかせた。
「…おっと」
雅人は恭二と歩いていると、少しの段差のところで転けそうになった。
「大丈夫か?」
「あ、ああ…」
まだ怪我が治りきっておらず、腹部に包帯を巻いている毎日だが、運動はできないにしろ、こんな事でつまずくことは今までなかった。
初めのうちは怪我のせいかと恭二は思っていたが、それは違うのではないかと薄々感づいていた。
恭二は疑いを持ちつつ、日々、雅人を見ているとそれは確信へと変わる。
「雅人」
そして恭二は確信へと触れた。
「お前、目が見えにくくなっているんじゃないか?」
「………」
雅人の無言が肯定を表していた。
「怪我のせいか?」
「いや、医者が言うには精神的なもののようだ。ショックで一時的に低下しているだけらしい」
「そのことを茜ちゃんは?」
雅人は無言で首を横に振った。
「…そうか」
「だが、時間の問題のようだ」
「…そうだな。気をつけろよ」
恭二はふっと笑うと、雅人の肩を強く叩いた。

「――ただいま」
バイトを終え、アパートに戻った雅人を迎えたのは見覚えのない女の子だった。
「おかえりなさい。お腹空いたでしょ?ご飯にする?」
「……?」
ポニーテールの髪をした女の子が台所で料理をしている。
雅人は疑問に思いながら、その子の顔をのぞき込んだ。
「ん?どうしたの、お兄ちゃん?」
「…茜か」
いつもと違う髪型をしている茜だとわかると、雅人はホッと息をついた。
「あれれぇ〜?もしかして、私だとわからなかった?」
「ま、まぁな。髪型、変えたんだな」
「似合う?」
「可愛いよ。でも、俺はいつもの茜が好きだな」
茜の頬が赤く染まると、目を反らすようにそっぽを向いた。
「そ、そんな目の前で言われると、て、照れるよ…」
茜に言われて雅人はかなり近い距離にいることに初めて気づいた。
「わ、悪い。わざとじゃないんだ」
「気にしてないよ。お兄ちゃんに誉められるのも見つめられるのも嬉しいから…」
そう言って赤い顔のまま、茜はテーブルに料理を並べた。
――食事の途中。
雅人はものを落としたり、コップを倒したりと危なっかしい行動を繰り返した。
「あっ…」
距離感がつかめず、お茶の入ったコップをひっくり返してしまう。
「あらら、なんかさっきから変だよ。もしかして具合が悪いの?」
零れたお茶をタオルで拭き取りながら茜が聞く。
「いや、そんなことはないのだが…」
「でも、ここ最近、変だよ?なんか距離感がつかめてないような――!?」
自分の言葉に茜はハッとした。どうやら雅人の変化の原因に気づいたらしい。
「目が見えてないんでしょうっ?そうでしょうっ!?」
険しい顔で茜が迫る。
雅人はこんなに早くバレるとは思っていなかっただけに、しどろもどろ答えた。
「見えてないことはないのだが…」
「それって、よくは見えないって事だよね?」
「………」
雅人がなにも言わずにいると、茜は泣きそうな顔で雅人の胸に飛び込んだ。
「どうしてっ、どうしてなにも言ってくれないのっ!?」
「…あかね」
「私、そんなに頼りないっ?大事なことも話せないほど子供なのっ!?」
「そんなことあるわけない。ただ、心配をかけたくなかった」
「なによっ、格好つけちゃってバカっ!お兄ちゃんのバカっ!!」
ひとしきり叫ぶと、茜は大きな声で泣いた。
――しばらくして茜が落ち着くと、涙ではらした顔を上げた。
「ご、ごめんなさい。私が取り乱しても意味ないのに…」
「なにを言ってるんだ。俺のことを心配してくれて嬉しいに決まってるだろう?」
「お兄ちゃん――んむぅ」
ふたりの唇が重なる。
静かな部屋にお互いの息づかいだけが響き、相手に聞こえるのではないと錯覚させるほど外も静かだった。
「んふぅ…」
茜は唇をはなすと、雅人の顔を両手でそっと包んだ。
「茜?」
「もう見えないの?私のこと、見えなくなっちゃうの?」
「一時的なものだから大丈夫だ。しばらくしたら、お前の可愛い顔もよく見えるさ」
「そ、そんなことで誤魔化さないでよ。本気で心配してるんだから…」
雅人は茜の手の上に自分の手を重ねる。
「本当に大丈夫だ。嘘はつかない」
「わかった。じゃぁ、なにかあったら私に言って。きっとお兄ちゃんの役に立つから」
「期待してるよ」
雅人の返事に満足すると、茜は強引に唇を寄せた。




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