第11話『距離』
第11話
『距離』



誰にでも等しく時は流れ、季節は梅雨を過ぎ、夏を迎える。
雅人と茜は兄妹以上の関係を続け、唯子は割り込む機会を見いだせず、ヤキモキする日々。
そんなおり、唯子がある誘いを持ちかけてきた。
「みなさんと海に行きませんか?」
木陰で寝そべっていた雅人は上体を起こすと、詳しく尋ねた。
「誰が行くんだ?」
「えっと、天宮先輩と日比谷先輩です」
「あのふたりの誘いだろう?」
唯子が小さく頷く。
「嫌ですか?」
「そうじゃないが…。茜も連れて行ってもいいか?」
雅人の言葉に唯子の表情が曇るが、
「いいですよ?先輩達も反対しませんよ」
と、明るく振る舞った。
「そうじゃない。綾瀬に聞いているんだ」
「私…ですか?」
その言葉に唯子は俯くと、消えそうな声で言った。
「私が反対しても、高原さんはきっと連れてくるもの…」
「綾瀬…」
唯子は自分で言った言葉の意味に後になって後悔すると、慌てて手を振った。
「ご、ごめんなさいっ!変なこと言っちゃって…」
「………」
「高原さんは妹さん思いだから、茜ちゃんにお願いされると断り切れないだろうなって…」
取り繕う唯子だが、既に遅かった。
黙ったままの雅人に唯子は、
「言い訳なんて見苦しいですよね…」
と、言って立ち去ろうとしたが、それを雅人が呼び止めた。
「妹さんに嫉妬するなんて、変ですよね?こんな女の子なんて嫌いですよね?」
「人間らしくていいんじゃないか?」
「…え?」
驚く唯子に雅人は続ける。
「茜もそうだが、感情的なのは悪い事じゃない。むしろ、それもひとつの魅力だと思っている」
「高原さん…」
「無理する必要はない。俺の前では自然でいてくれていい…」
不意に唯子の瞳から滴が零れると、慌てて指で拭った。
「な、なんでだろう?嬉しくて涙がでちゃった」
「ありのままの君は可愛いと思う」
「やだっ、それって私は泣き虫で怒りん坊って言われるような気がします」
「察しがいいな」
笑みを浮かべて言う雅人に、唯子は頬を膨らませた。
「た、高原さんって意外に意地悪なんですね?」
「…そうか?」
「そうですっ!でも…」
唯子は優しい笑みを浮かべると、
「初めてあったときより、ずっとずっと人間らしくて素敵です」
そう言って、頬を赤く染めた。

雅人がアパートに帰ると、茜が食事の準備をして待っていた。
「お帰りなさい。今日は早かったね」
「ああ、たまには早いときもある」
鞄を置き、上着を一枚脱ぐと箸を取った。
「――ごちそうさま」
食事が終わると、一息つく雅人に茜がすり寄ってきた。
「お兄ちゃんっ」
「どうした?」
「そろそろ、してあげよっか?」
意味深げに言う茜に雅人は意図を汲み取ると、顔を引き寄せキスをした。
「…んぅ」
「………」
「…ん。キスじゃなくて、私がしてげるの」
唇を離し、不思議そうな顔で見つめる茜。
「しなくていいよ。側にいてくれたらいい」
「最近、そんなことばかり言って、ぜんぜんしてあげてないよ?」
「気にしてないから」
納得できない顔をする茜の頭を、雅人は優しく撫でた。
「私たち、兄妹だもんね。なにをしてもどんなに思い合っても――」
茜の目から涙が零れるが、それでも続ける。
「――お兄ちゃんとの距離は縮まらないんだもんね」
「…あかね」
「わかってる。そんなこと、ずっとずっと前からわかってることなの」
雅人の服を掴み、泣きじゃくる茜を優しく抱きしめる。
「ずっと迷ってた。でも、お兄ちゃんのことを諦めようって決めたのっ!」
「茜…。でもな、お前は俺の妹だ」
「そうだよ。だから、お兄ちゃんに近づく女性をイジメるのっ」
泣き笑いながら茜は顔を上げた。
「茜は強いな」
「強くなんてない。私だってか弱い女の子だよ?お兄ちゃんに守られたいのっ」
「いくらでも守ってやるさ」
茜の前髪を払うと、露わになったおでこにそっとキスをした。
「急でなんだが、海に行かないか?」
「唐突だね?」
「今日、誘われたんだ」
「ふ〜ん」
茜は意味ありげに唸ると、
「綾瀬さんだね…?」
少し怖い目で呟いた。
「そう怖い顔するな。日比谷たちも一緒なんだ」
「恭二さんと天宮さん?」
「ああ、どうする?」
雅人の言葉に、それはこっちのセリフだと言わんばかりに茜は声を上げた。
「お兄ちゃんこそ行くのっ!?綾瀬さんと行くのっ?」
「綾瀬だけじゃないのだが…」
「お兄ちゃんが行くなら私も行くっ!しっかり見張らないとねっ」
茜の耳にはなにも入っておらず、強引に話を進める。
「落ち着けって」
「――なーんてねっ」
そう言うと、茜の顔が急に明るくなった。
「私、そこまで子供じゃないよ?お兄ちゃんが綾瀬さんに惹かれていること、わかってるもの」
「お前、なにを言ってるんだ?」
茜はふふっと微笑むと、人差し指を雅人の唇にあてた。
「何年兄妹をしていると思うの?鈍感なお兄ちゃんと違って、私はわかってるのよ。本当のことを言ってみなさい?気になっているでしょう?」
「少しは…な」
少し照れる雅人に茜は顔を寄せると、強引にキスをした。
「…んっ!?」
「……んむぅ」
「………」
「…んはぁ。それでもいいの、お兄ちゃんが綾瀬さんを好きでも、私はお兄ちゃんのことが好きだから」
途端に恥ずかしさがこみ上げ、茜は顔を真っ赤に染めると俯いてしまった。
「お、おかしいな?とっても恥ずかしくなってきた…」
「お前が照れるなよ。俺が照れることができないじゃないか?」
「無茶言わないでよ〜」
あたふたする茜の姿に雅人は吹き出すと、それにつられるように茜も声を上げた。
お互いがお互いの距離を認識したとき、ずれていた時間が少しずつ戻っていく。
ふたりの気持ちもまた、静かに兄妹へと戻っていく…。




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