第1章−1『奴隷の町』
第1章−1
『奴隷の町』



 ここは共同連合体の中央から西に位置する、通称“奴隷の町”と呼ばれる――スライブ。
 ディーセント王国との国境に近いこの町では日常的に奴隷の売買が行われている。それも本来の形ではなく、主な目的は娼婦である。そんな町に来る人間は金持ちなどの道楽家。
 スライブの町の入り口にひとりの青年が立っていた。名前はこの世界では珍しい“ナツキ”。外見は、身長176cmで中肉中背と少し大きいぐらいで普通の人と変わりがない。だが、見た目とは裏腹に若干、筋肉質であり、なにかしら武器を嗜むということは素人でもわかるほどだ。顔立ちは悪くないのだが、環境のせいか髪が乱れており、ボサボサ頭で前に垂れて素顔がわかりにくいが、左目を負傷している。年齢は25歳であるのに、それより大人に見えるのは彼の環境がそうさせたのだろう。
「仕方ない。今日はこの町の宿に泊まるか…」
 ナツキは小さくため息をつき、背中に背負った大きな剣をもろともせず町の中に入っていった。

 町の中央に行くと、まず宿を探す。ナツキは空を見上げると、うっすらとオレンジ色に染まりかけていた。町の至る所にある奴隷市場。そのどれもが商売繁盛といわんばかりに賑わっている。奴隷を売る店主の声、それを買う客の声。様々な声が広場の中央に集まってくる。ただ、この町は少し変わっており、奴隷自らが自分を売り込む姿も見られた。その光景にナツキは困惑した。すると、
「そこのお兄さん。どう?私を買ってくれない?」
 町の中央に突っ立っているナツキに声をかけてくる人物。それは紛れもなく奴隷の女の子である。年の頃は20歳といったところか。放漫な体を見せつけるような仕草ですり寄ってくる。ナツキはそれに臆することなく、言葉を発した。
「宿を知らないか?」
「宿?宿ならたくさんあるわよ〜」
 女の子が意味ありげに言う。だが、ナツキは知ったことなく続けた。
「そうか」
「今夜はいい夢見せてあげるわよ?」
「悪いが他をあたってくれ…」
 ナツキは冷たく言い放つと、近くの手頃な宿に向かっていった。
 それを見送った女の子は手を鳴らした。
「ちぇっ、いい男だったのにぃ〜」

「悪いが一泊頼む」
「はい。ありがとうございます」
 宿のカウンターに声をかけたナツキを店主は不思議な眼差しで見つめた。それは背負っているモノもあるが、なによりひとりなのが不思議だった。この町は奴隷の町。それを意味するのはナツキもわかっていた。
「俺ひとりだが、ダメか?」
「いえ、そんなことはないですよ」
 店主はニッコリ微笑むと奥の棚から鍵を取り出すとナツキに渡した。
 鍵を受け取ったナツキはそのまま部屋に向かう。ナツキの部屋は二階の一番奥にある部屋だった。鍵を開けて中に入ると、そこには大きめのベッド以外なにもなかった。
「トイレとバスか…」
 宿というよりはホテルである。ナツキは心の中で呟いた。
 ナツキは背中の大剣を軽々と持ち上げると、部屋の隅に置いた。別に盗難を気にする必要も無いのには理由がある。それは見た目通り、誰もが扱える代物ではないからである。常人なら持ち上げることすら困難な大剣――それを軽々と持ち歩けるのはナツキだけ。それは自他共に認める事実である。
 薄汚れた革のマントを脱ぐとそれを壁に掛ける。ラフな格好になったナツキはベッドに腰を下ろした。そしておもむろに後ろに倒れるとそのまま睡魔に襲われていった。

「……ん?」
 ナツキが目を開けると、外は夜になっていた。
「少し寝てしまったか…」
 軽く頭をふって眠気を飛ばす。意識がハッキリしたのを確認すると部屋を出た。
 一階に下りると、そこは食堂になっていた。だが、普通の食堂ではなく、奴隷の女の子と食事をとる金持ちそうな男のツーショットはいささか怪しいものである。そんな光景を気にしたことなくナツキは宿を出た。
 空を見上げると雲一つない景色が広がっている。星々が小さく輝きを放っている様は幻想的でもあった。ナツキは物思いに耽るように夜空を見上げながら歩いた。
 町の中央に着くと、昼間の光景が嘘のように静まりかえっていた。奴隷の女の子の姿はなく、店を閉める準備をしている店主の姿がチラホラと見える程度だった。ただ、ひとつを除いては――
「さっさとしねぇかっ!」
「は、はいっ!」
 ある店からの会話がナツキの耳に入る。気になったナツキは店の近づいていった。
「とんだ貧乏くじを引いたもんだっ!お前のような売れない奴を買った俺がバカだったぜ」
「すみません…」
「謝るくらいなら、自分から誘うとかしやがれっ!」
 店主の足が奴隷の女の子の腹部に直撃した。その反動で倒れた女の子は痛みのあまりに手で押さえながらうめき声を上げ、涙を流した。それでもなお、店主は手加減なく蹴り上げる。
 その光景を見たナツキは無言で止めに入った。
「だ、誰だっ!?――って、お客さんですか。すみませんねぇ、今日はもう店じまいなんですよ」
 店主はナツキの方に振り向くと、営業スマイルを浮かべた。その傍らでは女の子が無言で苦しんでいる。ナツキはその女の子の側まで行くと屈んで手をさしのべた。
「大丈夫か?」
「うぅ……は、はい…」
 無理に笑顔を浮かべて頷く女の子。だが、体は自分で起きあがれるほど大丈夫ではなかった。ナツキを見た店主は怪訝な顔つきで事を見送ったが、途端に笑顔になった。
「お客さん。どうですか?その娘を買いませんか?」
「………」
「とんだ売れ残りなんですがね、実のところ、まだ生娘なんですよ」
 その言葉にナツキは女の子を見つめた。
 年の頃は14、5といったところか。かなり薄汚れいているが、小柄で可愛い顔立ちしている。髪も土などで汚れているが綺麗にすれば腰まで伸びる美髪を見ることが出来るだろう。残念なことに胸が無いこと以外は満点だ。ただ、首の鎖はいただけないな・・・。
 そんな分析がナツキの脳裏を横切った。店主はそんなナツキを知ったことなく続ける。
「安くしておきますよ?」
「……俺が買おう」
「へっへっへ! まいど。おらっ、さっさと起きなっ!」
 店主が女の子に繋がれている鎖を無理矢理引っ張った。女の子は苦しそうに起こされる、その姿にナツキの目が鋭く光ると、その視線に店主が一瞬怯む。
「…きゃっ」
 店主の手から鎖が離れると女の子は倒れそうになったが、その小柄な体をナツキの手が支えた。
「あ、ありがとうございます…」
 女の子は恐る恐る礼を述べた。ナツキは女の子を支えたまま店主に顔を向けた。
「え、えっと…、料金の方は――」
 店主の言葉より早くナツキは金の入った袋を放り投げた。それを店主が不思議な顔で拾う。そして中を見ると目が飛び出すかのごとく驚いた顔でナツキに視線を向けた。
「お、お客さん。こ、これは多すぎますぜ?」
「気にするな」
「い、いいんですか?これじゃぁ、相場の5倍はありますぜ?」
「2度も言わすな」
「へ、へいっ!」
 店主は嬉しそうに袋を箱の中にしまい込むと、何かに気づいたようにナツキの顔を見つめた。
 その行動にナツキは怪訝な顔をする。
「なんだ?」
「いえ、人違いなら失礼なんすけど。昼間見たとき、ふと思ったんですよ」
「………」
「お客さん、もしかして“ブレイドマスター”じゃないんかなと…」
 店主の言葉にナツキの眉毛がピクッと動いた。そして小さな声で答える。
「どこで知った?」
「いえね、裏の業界では噂が流れているんですよ…」
「…そうか」
 ナツキはそれだけ言うと、女の子の手を握り、宿に向かって歩き出した。

 宿の自分の部屋に戻ったナツキはベッドに腰を下ろした。
「どうした?」
 ナツキは入り口で突っ立っている女の子に声をかけた。その体は小刻みに震えている。これから自分がなにをされるか恐怖で勝手に震えるのだろう。それに気づいたナツキはできるだけ優しい声で言った。
「怯えることはない。とりあえず立ってないで、ベッドにでも座ったらどうだ?」
「は、はい…」
 女の子はまだ震えながらベッドに近づくと、ゆっくりと腰を下ろした。女の子は俯きながら自分の震えに気づく。それを押さえるように細い両手で自分の体を抱きすくめた。
「……あ、あぅ」
「大丈夫だ。なにもしない」
 ナツキの手が女の子に触れると、飛び跳ねんばかりに動く。ここで変に引いては余計に怖がらせると思ったナツキはそのまま背中に触れ、なにかを確かめるように動かした。
「きゃっ……な、なにを…?」
「いや、ケガは無いかと思ってな」
「………」
「いつもあんな虐待を受けているのか?」
 女の子はナツキの問いを理解したようで無言で頷いた。
「私って、他の人みたいに売れないし、誰も買ってくれないから…」
「………」
「お客さんが初めてなんです…」
 女の子の目から涙が零れ、小さな手の甲に一滴ずつ落ちていく。ナツキはそれ以上なにも聞かずに静かに手をかざした。かざされた手が一瞬光ると、女の子の腹部が青白く輝いた。
 突然光った自分の体に女の子は驚いて声を上げた。
「な、なに?」
「どうだ?痛みは無くなったか?」
「……はい。不思議と無くなりました」
 女の子は唖然とした顔でナツキを見上げる。
「お客さんって、“ヒーリング”なんですか?」
「いや、本業は“ブレイド”。“ヒーリング”は趣味程度だ。だからこの程度しかできない」
「“ブレイド”――“ブレイドマスター”??」
 その言葉にナツキの表情が険しくなった。それに気づいた女の子は慌てて自分の手で口を塞ぐ。
「ご、ごめんなさい。詮索は失礼ですよね…」
「いや、お前の言ったことは事実だ」
「………」
 冷ややかに言い放つナツキに女の子は黙ってしまった。自分が言ったことで気分を害していると悟った女の子は、客の正体を知ったと同時に再び体が震えた。
 震える女の子を後目にナツキはバスに入れと言い放つ。その言葉で女の子の恐怖は頂点に達した。
「そんな汚いなりではどこにも行けまい。さっさと綺麗にしろ」
「…は、はいっ」
 女の子は飛び跳ねるように入り口の左手にある扉の中に駆け込んでいった。“バス”とはいわゆる風呂のことである。そこに入れと言われた女の子は自分がそういうことをされるんだと勘違いしたわけである。だが、そんなことまでナツキの気が回るはずもない。数年間、男ひとりで生きてきた人間にそれだけの気持ちを察することは困難であろう。
「……ふぅ」
 ナツキは一息つくと、着ていた革のシャツを脱いだ。その下はなにも着ていないので引き締まった体が露わになった。下は革のズボンで動きやすいように作られている。“ブレイド”に大切なのは武器だけではなく、動きやすい服装もポイントなのは言うまでもない。
 ナツキはズボンに巻いてある革ベルトをグッと締め上げると、腹部に力をこめた。
「よしっ!」
 ナツキの気合いと同時にバスの扉が開かれた。
 そこには先ほどの女の子が全裸で震えながら立っていた。それに気がついたナツキは無造作に革のシャツを女の子に投げつけた。
「きゃっ!な、なに?」
「それでも着てろ」
「え?するんじゃないんですか?」
 キョトンとした瞳で女の子は聞き返す。
「意味を分かってるのか?」
「す、少しだけ…」
「お前みたいな子供を相手にするほど飢えてない」
「こ、これでも18歳なのに…」
 女の子の言葉にナツキの目が少し開いた。
 本人が言うには18歳なのだろうが、どうみてもそうには見えない。だが、奴隷に売られるぐらいだ、満足な食事も栄養ももらえなかったのだろう。それなら納得できるな。
「どっちでもいい。メシでも食うぞ」
「え?あ、はいっ!」
 上半身裸で部屋を出るナツキを追うように、女の子はシャツを着ながら続いた。

 一階に下りたナツキは適当なテーブルに座る。女の子もつられるようにナツキの向かいの席に腰を下ろした。するとウェイトレスであろう女性がふたりの席に近づいてきた。
「ご注文をどうぞ」
「適当に見繕ってくれ。お前は?」
 ナツキの問いに女の子は慌てふためいた。その仕草にウェイトレスが吹き出す。
「こいつも適当に頼む」
「はい、わかりました」
 ウェイトレスが去っていくと、女の子は控えめに訪ねた。
「あ、あの……いいんですか?」
「なにがだ?」
「私が食事をしても…」
「いいもなにも、食べないと死ぬぞ?」
「あはは、少しぐらいなら平気ですよ」
 女の子は寂しそうな笑顔を浮かべた。ナツキは女の子の強がりにやり場のない憤りを覚える。だが、これがこの世界の常識だと思うと、諦めざるを得なかった。
「上着なしで寒くないですか?」
「鍛えてあるからな。寒くはない」
「すっごい体ですね。“ブレイド”の人って、見た目からして強そうですね」
 興味津々の視線がナツキの体に刺さる。なにが珍しいのかと呟くナツキは触ってみるかと女の子に聞いた。ナツキの言葉に少し戸惑ったが、女の子はビクビクしながら小さな手をペタペタと触れた。
「すごい。私なんて筋肉どころか、贅肉もないですよ〜」
「確かにな…」
「私の父も“ブレイド”だったんです…」
「…そうか」
 ナツキは女の子の言葉をすぐさま理解した。過去形で言うあたり、父親はこの世にはいない――もしくはその状態でいられるほど健康ではないということである。
 気まずい空気が流れると、ナツキは柄にもなく場の雰囲気を変えようとした。
「まぁ、今日は好きなだけ食え、遠慮はするな」
「いいんですか?」
「何度も言わせるな」
「ご、ごめんなさい…」
 女の子が謝っていると、テーブルの上に料理が運ばれてきた。ふたり分には少し多いくらいのボリュームである。だが、ナツキは気にしたことなく手を伸ばした。それにつられるように女の子も手をつける。
「あ、美味しいですね」
「そうだな。好きなだけ食っていいぞ」
「じゃぁ、お言葉に甘えて食べちゃいます」
「そうだ。それぐらい傲慢じゃないと、この世界は生きていけない」
 意味ありげな言葉を残してナツキは黙々と食べる。女の子も少し気になったが、久々の豪勢な食事に体の方が反応したのか、手が勝手に動き続けるのだった。

「さて」
 部屋に戻ってきたふたりは終始無言だった。特に意味はないのだが、ナツキは特に話すこともなく、女の子は自分がなにをされるのか覚悟を決めたようで、小さく震えるだけだった。
「ベッドの方がいいか?」
「え?」
 ナツキの言葉に女の子はついにきたと勘違いした。顔を真っ赤に染めながら小さく頷く。
「わかった。じゃぁ、寝ろ」
「は、はい…」
 女の子は覚悟を決め、ベッドの中に滑り込んだ。
 心臓が張り裂けそうなほど高まる。女の子はそれを自覚しており、何度も静めようとするが、体がいうことを聞かない。それどころか、意識すればするほどさっきより大きく高鳴るのだった。
「俺も寝るか」
 ナツキは少し汚れたマントを持ってくると、それを床に敷いてその上に寝転がった。
「ぐっすり寝たらいい。そして嫌な事なんて忘れてしまえ」
「………」
 ナツキの行動に女の子は首を捻った。そして少しして状況を理解すると、慌ててベッドから飛び出す。
「そ、そんなのダメですよ。お客さんがベッドで寝るべきです!こんな事が知れたら、お仕置きなんかで済みませんよー!!」
 女の子の叫びにナツキは気怠そうに体を起こすと、頭をボリボリと掻きながら言った。
「別に俺は気にしないし、誰にも言わない」
「そういう問題じゃないんですっ!」
「じゃぁ、どうしろって言うんだ?」
「お客さんがベッド、私が床で寝ます!」
 やれやれと思いながらナツキはベッドに入り込み、ついでに女の子の手を引っ張った。
 女の子は小さな悲鳴を上げながら流れるようにベッドの中に吸い込まれていく。
「面倒だから、お前も一緒に寝ろ」
「そ、それって…?」
「なにもしない。ただ寝ればいい」
 それだけ言ってナツキは静かに目を閉じた。女の子はホッとしたのか、ナツキの大きな体に控えめながら寄り添った。その行動にナツキは感づくが、特に気にしなかった。
 すると、静かな部屋にすすり泣く声が響いた。隣に寝ている女の子である。ナツキは無言で女の子の背中に手を回すと、キュッと抱き寄せた。
「……あっ」
「泣きたいときは泣けばいい」
「……すみません」
「気にするな」
「……ありがとう…ございます」
 “奴隷の町”と呼ばれるスライブに似ても似つかない夜が過ぎていった。





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